ブリズ、白銀の剣ゲットへの旅~中編

翌日、早朝。ブリズとヴェント、ティフォンは、冒険宿の前に佇んでいた。夜の間に新たに雪が積もったのか、除雪されていたはずの路面は雪におおわれている。
「魔物は、いつ来るんだろうな」
白い吐息を吐きながら、ブリズが誰にともなくきいた。残りの二人からの返答はなかったが、気にしたふうもなく空を見上げる。まだ日の出前なので薄暗い空だったが、雲はひとつもなかった。
彼の横で寒そうに肩を抱いていたヴェントも、つられたように空を見上げた。朝が来るまでにトゥースが戻ってくることを密かに祈っていたのだが、そうはならなかったため、すっかりリラックスした様子のブリズとは違ってヴェントの表情は硬く、沈んだ様子だった。
「ねえ。何か聞こえない?」
昨日の老人からわけてもらった香油入りのランプを弄っていたティフォンが、不意に顔を上げて言った。
獣の咆哮と、地鳴りのような音がかすかに響いている。しかも、それはどんどんと近づいていた。
村の山に近い場所で、男の怒号が聞こえた。村の警護にあたっている男たちのものだ。
「とうとう、魔物が現れたみたいよ」
ティフォンの声が緊張に強張る。
「よし。行くぞ、ヴェント」
「ええっ?! ちょっ、行くって、兄貴!」
魔物が山へ帰っていく時まで待機するものと思っていたヴェントは、虚を突かれた様子で声をあげた。その時にはすでにブリズは数メートル先を走っている。
「ああ……ったく、もう! ティフォン、お前はここで待機な!」
言って、彼女の不満の声は無視してブリズの後を追う。
角をひとつ曲がり、少し行ったところでブリズが足を止めているのが見えた。
「兄貴!」
呼びかけるも、ブリズは横手にのびた路地の先を向いたままだ。その視線はかなり上のほうに向けられている。
「うわっ?!」
小さく声をあげて、ヴェントは急停止した。ブリズが眺めていた方向から、白い影が飛び出してきたからだ。
白く長い体毛におおわれた、三メートルを超す巨体。
連日、ニバコリナを襲撃にやってくる白毛の獣人に違いなかった。
反射的に横手へ跳びすさるブリズを追うようにして繰り出された白獣の拳は、数瞬前までブリズがいた辺りの石畳を砕き、穴をあけた。
「これが例の魔物……デカイ」
呟きながら後ずさるブリズに、白獣が追撃をかける。巨体のわりには意外に速い拳。次々に繰り出されるそれを、難なくかわし続けるブリズだが、徐々に壁際に追い込まれつつあった。
「兄貴!」
見かねたヴェントが鋼の槍を手に、背後から白獣に飛びかかった。声に反応して隙を見せた白獣の膝にブリズの靴裏がめり込む。体勢を崩したところにヴェトが横殴りに槍を打ちつけ、駄目押しとばかりに放たれた腹部への回し蹴りに、白獣は肩から石畳の上に倒れこんだ。 だが、そこから体勢を立て直すのは速い。
間合いを取る暇もなく再び襲ってくる魔物に、ブリズもヴェントも、とっさに左右に跳びすさるしかない。ふたりの間に転がるように飛び込んできた白獣は、勢いもそのままに再びブリズに殴りかかった。
屈みこんで一撃をかわし、ブリズは低い姿勢のまま白獣の脇をすり抜ける。そこに更に打ちつけられる、白獣の拳。空振りした体勢から無理やり繰り出された拳にもかかわらず、スピードもウェイトも相当なものだ。
それを斜め後ろに跳んでかわし、ブリズは怯むことなく白獣のふところへと飛び込んだ。
蹴り上げたつま先が捉えたのは、無防備な股間。
急所をまともに攻められた白獣は、つぶれたような咆哮をあげて仰け反り、闇雲に暴れだした。
打ち払った拳はそばの壁面を陥没させ、石畳に穴をあけた。
「兄貴! 離れてろ!」
言われるまでもなく後方に下がっていたブリズと入れ替わるように、ヴェントが白獣の間合いギリギリに踏み込んだ。上段に構えた槍の穂先は、暗青色の輝きをまとっている。生命力や精神力を武器に注ぎこみ一時的に強化させる、熟練した者でなければ扱えない高度な技だ。
両拳を路面に叩きつけた格好のままうずくまっていた白獣が顔を上げるが、それ以上の動きを取るよりも速く、ヴェントは輝く槍を振るった。
輝きを増した穂先から、一対の光の龍が生まれ出る。
「いつの間にこんな高度な技を…」
螺旋を描きながら白獣に向かっていく龍を見て、ブリズが心の底から感心したように声をあげる。
「兄ちゃん、感激の涙でもう前が見えないよ!」
「泣くのは後でいいから、兄貴、今のうちに逃げよう!」
双龍の勢いに押されて仰向きに倒れこむ白獣を気にしながら、ヴェントはブリズの腕を取って走り出した。だが、数メートル走ったあたりで白獣がものすごい勢いで追いかけてきた。
「うっわ! 立ち直り、早っ!」
半面振り返って叫び声をあげるヴェントに、前方からティフォンの鋭い声がかかる。
「どいて、ふたりとも!」
「ぬォッ?!」
前へ向き直る間もなく、ブリズにかなり強引に壁際へ引き寄せられ、ヴェントは小さく悲鳴をあげた。それに重なるように、魔物の唸り声があがる。
何が起きたのか確認する暇もなくブリズに促され、ヴェントはわけもわからないまま再び走り出した。
前を見れば、ティフォンが大振りのナイフを構えているのが見える。
後ろを見れば、肩と脇腹の辺りに突き立ったナイフを引き抜く白獣の姿が見えた。硬く長い体毛と発達した筋肉に守られ、ナイフが刺さったとはいえ、大したダメージはないようだ。
「それ以上近づいたら、ナイフ二本じゃ済まないわよ」
ナイフを揺らめかせながら警告するように言うティフォンの前に、駆け寄ってきたヴェントが彼女を守るようにして立ち、槍を構える。その横に同じような面持ちで立つブリズだが、彼が守っているのは黒鋼の剣だった。
引き抜いたナイフを投げ捨て、白獣は前進してきた。だが、すぐに立ち止まって低い唸り声をあげ始める。白い毛に埋もれた大きな鼻をひくつかせているところを見ると、どうやら「魔除けの香油入りランプ」が効果を発揮しているようだ。
白獣が立ち止まっている隙にとばかりにゆっくり後退するティフォンらに、大きく吠えて拳を路面に叩きつけると、白獣は魔除けの香油の効果に抗して向かってこようとした。そこへ、少し離れたところから別の魔物の叫び声が響く。それを聞いた白獣は吐き捨てるように一吠えすると、元来た道へと走り去っていった。
「……何だったんだ?」
「行ってみよう」
「あ、兄貴?!」
ヴェントが狼狽の声をあげた時には、ブリズはすでに走り出していた。
「ああ、もう。またかよ!」
「しようのない人ね」
言いながらもティフォンの足はブリズの後を追っている。
「ヴェント! ぼやっとしてないで、行くわよ!」
「ティフォン……」
引き止めるようなヴェントの呼びかけに振り返り、ティフォンはランプを掲げながら言う。
「大丈夫よ。この香油、案外、効果あるみたいだし」
そういう問題じゃねーよ、と口の中で呟きながらもヴェントはティフォンの横に並んで走り始めた。

走り去った白獣を追い、遠方から聞こえる傭兵たちの怒声を頼りに走り続け、三人は魔法屋の近くまでやってきていた。五体ほどの白獣と、十数人の傭兵と村の男たちが対峙しているのが見える。勢いに任せて飛び出していこうとするブリズを全力で引き止めながら建物の陰から様子を見た限りでは、今すぐバトルが開始されるような気配はなかった。
だが、一触即発であることは明らかだ。
「……何か、必死に訴えてるって感じね」
ティフォンの囁きに、ヴェントがうなずく。
魔法屋を守るように横一列に並んだ男たち、それに向かい合う形で集まった白獣の中で最も大きな身体をしたものが低い唸り声をあげながら両腕を振り回している。攻撃をしかけようとしているわけでもなく、その様は見ようによってはジェスチャーで何かを伝えようとしているようにも見えた。傭兵たちは下手に動くわけにもいかず、各自武器を構えながら目前の魔物を眺めているしかない。
その状態が一分ほど続いただろうか。白獣の一体がしびれを切らしたように魔法屋の戸口へ突っ込んでいった。
その瞬間、魔物たちの様子をうかがっていた男たちも一斉に動き出した。
攻撃をしかけた白獣につられて他の白獣らも傭兵と村人、もしくは魔法屋へと突っ込んでいく。それらの波にもまれ、最も大きな白獣は悲鳴にも似た咆哮をあげた。
「おいおい。本格的な戦闘が始まっちまったぜ」
尚も飛び出していこうとするブリズを必死に止めながら、ヴェントは呟いた。
魔物たちはほとんど統制が取れていないが、個々の能力が高い。連携を取りながらそれなりの統制をもって対応する男たちは、数の上で勝っているにもかかわらず押され気味だ。最初に魔法屋に向かっていった白獣は拳で戸口を粉砕し、半身を店内へと突っ込んでいたが、残りの白獣が魔法屋へ押し寄せるのを食い止めるのが精一杯だった。
「このままじゃ、あの人たちやられるのも時間の問題って感じよ。このランプで追い払ったほうが手っ取り早いんじゃない?」
「そうだな。よし、ヴェント。これを持っていって、魔物を追い払ってきなさい」
「何で俺が! 兄貴が行けばいいじゃん。さっきから出て行きたそうにしてたんだから」
差し出されたランプを思わず受け取りそうになりながら、ヴェントは小声でわめいた。
「兄ちゃんは荷を守らなきゃいけないから、無理。ティフォンは女の子なんだから危険な役は任せられないし」
「そうそう。この場でこんな役がまともにこなせるのはヴェントだけよ」
「女の子って……ティフォン、そろそろおばさんの域にたっし……イテッ!」
ついつい本音を漏らしかけるヴェントのすねに、ティフォンのつま先が力強く突き刺さる。
「あ、兄貴……せめて、ここはせめてジャンケンで決めようぜ」
「しかたないなあ……」
すねを抱えて悶絶しながら言ってくるヴェントに、ブリズはため息まじりに応じた。その間にも、傭兵たちの何人かが魔物にふき飛ばされていた。
「ジャンのケンの……最初は?」
「グー!!」
勢いよく握り拳を突き出すヴェント。
それとわからないほど微妙に遅れてブリズが五指広げた手のひらを突き出した。
「はい、ヴェントの負け。いってらっしゃい」
「えっ?! ちょっ、待って? 今のって『最初はグー』って全員グー出してから勝負するヤツじゃねーの?!」
「何をわけのわからないことを言ってるんだ? ほら、これを持って」
ほぼ強制的にランプを押しつけられたヴェントは、地団駄ふみながら今度は大声でわめいた。
「チクショー! ハメられた!!」
「いい若い者が、情けないねえ」
傍らで漏らされた女の呟きは、ティフォンのものではない。
「あ、あなたたちは……」
いつの間にかそばに近づいてきていたふたりの女の姿を見て、ティフォンは少し震えた声で言った。
「ファーさんと、グレースさん……」
それに応じて、先ほどの呟きの主である金髪の女――ファーが野性的な笑みを浮かべた。
「久しぶりだね、お嬢ちゃん。元気そうで何よりだよ」
「あ、あの、私……」
ティフォンが言いかけると、ファーは大仰に手を振って押しとどめた。そして、ヴェントに向き直る。
「そいつは魔除けの効果をもったランプだね。貸しな。あたしがあんたの代わりにあの連中を追い払ってきてやるよ」
「えっ、ちょ、ちょっと待ってよ!」
多少強引にランプを奪われながら、慌てた様子で声をかけてくるヴェントに、
「大丈夫、あたしは戦士なんだ。任せときな」
からからと笑いながら、半面振り返ってランプを掲げる。
「一介の運び屋に任せておくには、あまりに危険だからね。ぼうやはおとなしくここで待ってな」
「ッな……!」
小馬鹿にしたような言葉に、ヴェントは絶句した。そして、魔物と男たちの戦闘の場へ向かうファーの横へ小走りに駆け寄り、一緒に歩き始めた。
「おや。待機してるんじゃなかったのかい?」
「そこまで言われて黙ってられるか。俺も行くぜ」
「そうかい。じゃあ、行こうか。遅れるんじゃないよ」
「おうよ」
傭兵と村人たちは、半数以上が魔物になぎ倒されている。
互いにうなずき合うと、ファーとヴェントは魔法屋に向かって走り出した。

「すごい、すごい。あの香油、効果テキメンね」
ファーとヴェントが近づくやいなや、飛び上がらんばかりの勢いで逃げていく白獣たちの姿を見て、ティフォンが歓声をあげた。その横では、グレースが「素敵です、ファー様」などと言いながら満足げな表情を浮かべている。ちなみに、ブリズは黒鋼の剣を大事そうに抱えながら、明後日の方向を眺めていた。
「グレース!」
全ての魔物が逃げ去り、男たちが呆然としたり礼を言ってくる中で、ファーの大音声が響いた。それに返答し、呼ばれたグレースはファーのもとへ駆け出す。彼女がそばへやって来るのを待たず、ファーは魔物たちが逃げた方向へ走り出した。そして、少し行ったところでヴェントらに呼びかける。
「何ボヤッとしてんだい。あんたらも、あの連中を追うつもりだったんだろう。置いてっちまうよ」
これに真っ先に反応して走り出したのは、ブリズだ。やや驚いた様子でファーとグレースを見送っていたティフォンも、慌ててそれを追いかける。
「ヴェント! 遅れないでよ!」
ブリズとティフォンが傍らを通り過ぎても立ち止まったままでいるヴェントに、ティフォンが振り返りもせず声をかける。
「ヴェント!」
再度の呼びかけに、ヴェントが渋々ながら走り出したころにはファーとグレースは数十メートル先の曲がり角を曲がっているところだった。
村の中心から離れ、魔物たちが去っていった山へと続く、道とも呼べない道に差しかかる。
「見失っちまったようだねえ」
先頭を行くファーがグレースに言った。
「この足跡をたどれば、じきに追いつけますわ」
「雪が降らなきゃいいけどね」
グレースの返答に軽くうなずきながら言ってファーは振り返り、ブリズらが追いついてくるのを確認した。
「このまま山に入るよ。覚悟はついてるかい?」
ブリズとティフォンは肯定の言葉を返したが、ヴェントだけは仏頂面のまま反応を示さない。それを特に気にすることなく前に向き直ると、ファーは気合を入れるように白い吐息を吐いた。
魔物たちの足跡を追って、山を登る。
少し行ったところでファーが唐突に足を止めた。
視線の先には、追跡している魔物の一匹、白毛の獣人がうずくまっている。
除雪などされていない雪山の斜面は相当な悪路だが、魔物たちが一度は通った後であるぶん、進むのは楽である。だが、戦闘において不利な場であることには変わりない。一瞬にして皆の表情が険しくなり、身構える。
「私が行きましょう。ランプの火を消してください」
「グレース……」
「大丈夫ですわ、ファー様。うまく話をつけてごらんにいれましょう」
自信ありげな笑みを浮かべて言うグレース。
「わかった。あんたに任せよう。気をつけるんだよ」
ファーの声を背中に受けながら、グレースはゆっくりと白獣のそばへ近づいていった。
「あの人、ひとりで大丈夫なのかよ」
「ふん。おばちゃんだからって舐めてるようだねえ、ぼうや」
「いや、そういうわけじゃないけど」
形式的としか取れない否定の言葉を吐くヴェントを一瞥し、ファーは鼻で笑った。
「あたしもグレースも、あんたのようなひよっ子には想像も出来ないような修羅場をくぐってきてるんだ。心配はいらないよ」
「ひ、ひよっ……ぐむむ」
再三の子ども扱いに低く唸りながらも反論できずにいるヴェントをおかしそうに眺め、ファーは前に向き直った。
グレースが近づいてきたことに気づいた白獣が顔を上げ、彼女の姿をみとめた。白獣が何らかのアクションを取る前に、グレースは白獣に向けて何事か話しかけた。
しばらくして、
「ファー様!」
グレースの呼びかけ。「よし!」と小さく一声、うなずくと、ファーはブリズらに呼びかけグレースのもとへ歩き出した。それを見ることもなく、白獣はのそのそとした動きで山の斜面を登り始めている。その背中を眺めながら、ファーはグレースに問いかけた。
「うまくいったのかい?」
「ええ。仲間たちのところへ案内して、話をしてくださるそうですわ。彼についていきましょう」
「ほお。そりゃあ頼もしい限りだね」
「案内してくださるって……獣語でもわかるのかよ」
最後尾で誰にともなく呟くヴェントに、グレースはファーの後ろを進みながらにこやかに答えた。
「魔術における一種の読心術ですわ。彼らは私たちとは発声法が異なる上に、竜族のように思念言語――まあ、いわゆるテレパシーですわね、それが発達しているわけでもなく、意思の疎通が非常に困難なのです。ゆえに誤解されやすいのですが、彼らは知能も高く、術の扱いにも長けているのですよ。ただの獣とは違うのです」
「ふーん……」
わかったのかわからなかったのか、気のない返事をするヴェントにグレースは呟くようにつけ足す。
「ただ、彼らが本質的に獰猛で好戦的なのもまた事実ですわね」
「守る側にとっちゃ、その本質が全てだよ。あの村の傭兵たちは使い物にならなかったけどね」
ファーの無感動な言葉に、グレースは軽くうなずいた。
「最初にあの連中に遭遇した時、あたしは退治しようとした。でも、あんたがどうしてもって止めたから、我慢したんだよ。もしも――」
前を行く白獣の背中を睨みつけながら、ファーは続ける。
「もしも、あいつの説得に他の連中が応じないようなら、その時は全力でやるよ。それでいいね」
「もちろんですわ、ファー様」
何やら物騒な言葉を交わすふたりに、ヴェントは不安そうな視線をブリズの背中に向けた。その顔は、「早く帰りたい」と切実に訴えていた。

道が二手にわかれていた。道とはいっても、魔物の群れが通った足跡なのだが。
「どっちに行くの?」
白い息を吐きながら、ティフォンが問いかける。
「あいつに決めさせるしかないかねえ。グレース」
「はい、ファー様」
少し先でどちらに行くか決めかねた様子で座り込んでいる白獣に、グレースが話しかけようと近づいた時だった。
左手へ続く足跡の道の先から、爆発音にも似た大きな音が響いた。続いて、軽い振動。
「雪崩かい? しかし……」
「随分、暴れてるようだな」
思わず身構えるファーの声に、ブリズの呟きが重なる。
「グレース、あっちに行こう。そいつに言ってやっとくれ」
大きくうなずき、グレースは座り込んだ白獣に声をかけた。
どこかおどおどした様子で再び先頭を歩き出した白獣の後に続き、一行は歩みを再開した。向かう先は、音の発信源だ。
黙々と先へ進む間にも、思い出したように爆発音と地響きは鳴り響いた。
進むにつれ、魔物たちの歓声のような声がかすかに聞こえてくる。
「誰かがあの連中と戦ってるようだねぇ」
それを予期していたらしく、ファーは言いながら口の端をつり上げた。
「誰でしょうか。討伐隊は動いていないのですから、少なくとも傭兵や騎士ではありませんわね」
「まあ、物好きに違いはないね。こんな雪山の奥まで連中を追ってきたんだから」
それは俺たちも人のことを言えた立場じゃねぇぜ、などと心の中で呟くヴェントのそばで、ティフォンは浮かない顔だ。
「もしかして……というか、たぶん、トゥース?」
「だろうなあ」
やけくそ気味なヴェント。ティフォンは不安げに前方を見やった。
「見えてきたよ」
ファーが言うまでもなく、雪に埋もれた木々と山の斜面の向こうに、雪とは違う白い塊が見え始めていた。絶壁に突き出した踊り場といった、ひらけた場所。三体ほどの白獣と切り立った崖とに挟まれる形で、ふたつの人影がはっきりと見えてきた。
ひとつは、今まで見てきた白毛の獣人の中でも特に巨大な白獣。
そして、もうひとつは――。
「……トゥース!」
ティフォンとヴェントはほぼ同時に叫んでいた。
浅黒い肌に肩までの長い金髪、そして紅い瞳――白い魔物と対峙している男は、トゥースに違いなかった。
ティフォンとヴェントの叫び声は聞こえなかったのか、互いに相手の出方を探るように睨み合っていたトゥースと白獣が同時に動いた。
肩から突進してくる巨体を宙に飛んでかわし、トゥースは白獣の背後に着地する。前のめりに倒れそうになりながらも踏みとどまり、振り返ってくる白獣に何やら言葉をかけているようだが、その声はティフォンらのところまでは届かない。
代わりに、白獣の咆哮が辺り一帯に響く。
叩きつけるように繰り出された拳をかわし、トゥースは横手へ跳んだ。雪煙をあげる勢いの追撃をかわし、お返しとばかりにどす黒いエネルギーの塊を打ちつける。その間にもトゥースは何やら白獣に語りかけていた。
「何やってんだ、あいつ」
純粋な疑問を呟くヴェントの傍らで、ファーが苛ついた声で言う。
「全くだよ。あの男、手加減しているようじゃないか。まともにやれば、とっくに勝敗はついているはずだよ」
どうやらファーは本気で戦えば余裕でトゥースが勝つと踏んでいるようだ。その場の全員が同じ思いなのか、皆、一様に首をかしげている。
「あれは……」
グレースがポツリと呟く。
「チャーム、かしら……」
「チャーム?」
「ええ。対象者の精神に働きかけ、意のままに操る術ですわ。でも、彼のあれは……」
言いながら、グレースはティフォンのほうをちらりと見た。その視線に気づいているのかどうか、ティフォンはヴェントの背に身を寄せ、不安げな眼差しを戦うトゥースに向けていた。
ひとまずその場に留まり、ある意味、不毛ともいえる攻防を続けるトゥースと白獣の戦いを見守る。
そのうち、観戦していた魔物の一匹が不意に振り返り、背後の木々の陰に身をひそめていたヴェントら一行に気づいて騒ぎ始めた。
「やっべ、気づかれた!」
慌てるヴェントとは対照的に、ファーとグレースは落ち着いたものだ。説得役として同行させていた白獣の背を軽く押し、笑みさえ浮かべながらグレースが言った。
「説得、よろしくお願いしますね」
見慣れぬ人間を見つけて騒ぎ立てる仲間たちに怯むような仕草を見せながらも、彼はのそのそと前へ進み出た。人の耳には獰猛な唸り声にしか聞こえない声で、彼らは何やら話し合い始めた。話し合うといっても、三対一の一方的な言い争いといった構図だったが。
「――何かあいつ、さっきより元気になってない?」
そばの魔物たちを気にしながらトゥースらの戦いを観ていたヴェントが、小声でブリズに話しかけた。だが、ブリズが答えるより先に、白獣の悲鳴があがった。ヴェントらとともにここまでやってきた白獣だ。仲間に突き飛ばされ、危うくファーとグレースを巻き込みそうになりながら雪の上に倒れこんでいる。それには目もくれず、彼を突き飛ばした白獣はまっすぐにヴェント――正確には、その後ろのティフォンに向かって突進してきた。
「きゃっ?! ちょっと……何すんのよ!」
その唐突な行動に成す術もなく、ティフォンは白獣の巨大な手に持ち上げられてしまった。
「テメーッ…!」
突き飛ばされ、ブリズともども雪の上に倒れこんでいたヴェントが起き上がり、助けに入ろうと足を踏み出した瞬間、皆の視界の隅を漆黒の影がかすめた。その次には、荒々しい唸り声をあげていた魔物はくぐもった声を漏らしながら膝をついている。
宙に放り出されるティフォン。
だが雪上に落下することはなく、影――今の今まで離れた場所で白獣とのバトルを続けていたトゥースに抱きとめられていた。
「雑魚が。あまり調子に乗るな」
吐き捨てるようなトゥースの言葉に、倒れこんだ白獣は抗議するような唸り声を発するが、ただの一撃で身動きが取れなくなったらしく、それ以上は動こうとしなかった。
「大事はないな」
騒ぎ立てる他の白獣たちには目もくれず、ティフォンを地に降ろすとトゥースはやや離れた場所でこちらを見据えている魔物に向き直った。
「ち、ちょっと、トゥース……」
無意識に間合いを取りながらも気遣わしげな声をかけるティフォン。それを気にする体もなく、トゥースは待ち構える白獣に向けて足を踏み出し――
「テメー、待てよ、コラ」
いい終わる間もなく打ち下ろされてきた槍を、振り返りざま腕で受け止める。
「小僧。貴様、こんな場所で何をしている」
「っるせー。テメーこそ、何を遊んでやがる。おかげでこっちはこんな山奥まで足をのばすハメになっちまったじゃねーか」
苛立たしげにまくし立てるヴェントを訝しげに見やるトゥースの視線がやや後方にずれ、ブリズの姿をみとめて「今気づいた」とばかりに見開かれたところで、ヴェントは勢いよくブリズのほうを振り返った。
「ホラ、兄貴! こいつの用事、まだ済みそうにねーし。今のうちにこっちの用件、済ませちまおうぜ」
うなずき、布で厳重にくるんだ何かを抱えて近づいてくるブリズを眺めながら、トゥースはますます訝しげに眉根を寄せる。そのまま視線をティフォンに向けるが、彼女は「私は知らない」とばかりに軽く肩をすくめるだけだ。
「トゥースさん、これ」
差し出された布包みを反射的に受け取り、もの問いたげな眼差しをブリズにぶつける。
「黒鋼の剣。せっかく贈っていただいて恐縮ですが、これは受け取れません。お返しします」
「返すのは一向に構わんが。お前、代わりの剣が欲しかったのではないのか?」
布包みの中身を確認しながらのトゥースの問いに、ブリズは大げさなまでの勢いで首を横に振る。
「俺が欲しいのは白銀の剣であって、他の剣ではないんです。だから……」
「だから……?」
「白銀の剣、山を下りたらすぐに作ってくださいね。俺、無期限で待ちますから」
邪気のない笑顔で無茶なことを言うブリズに、トゥースはあからさまに嫌そうに顔をしかめて口を開き――
「あら、大変」
言葉を放つ前にあがったグレースの声につられて、背後に目を向けた。同時に、何かが倒れこむ物々しい音。つい先ほどまでトゥースと拳を交えていた白獣だ。うつ伏せに倒れたまま、ぴくりとも動かない。それを見た仲間の白獣たちが一瞬、静まった後、互いに囁き合うような唸り声をあげはじめた。
「チッ、もう限界か。たわいのない……」
渋い顔で呟くトゥースの脇を、一体の白獣――ヴェントらをここまでつれてきた一体――が通り過ぎ、倒れた仲間のもとへと駆け寄っていった。
その後を追って走り出したグレースは、
「どうする気だ?」
トゥースの問いかけに振り返り、にっこり微笑みながら答えた。
「決まっていますでしょう。彼女の手当てですわ」
「彼女……?」
「あなたが随分と無茶な戦い方をするので、彼女は衰弱してしまったのです」
倒れたままの「彼女」をちらと見やり、グレースは続ける。
「さ。あなたも一緒に来て、手伝ってくださいな」
「なぜ、私が」
吐くように呟くトゥースに、その傍らを通り過ぎながらファーが言った。
「レディを傷つけたら、責任を取るのが男の義務だよ。さっさと来な」
そのままグレースに追いつくとファーは振り返り、一所に固まっていた白獣たちにも声をかけた。
「何をぼやっとしてるんだい。お前たちも手を貸すんだよ」
静かながらもドスのきいた声に、白獣たちは一様にびくりと身を震わせ、ひとつふたつ低く囁きあった後、のそのそと彼女らの後を追い始めた。
「……俺たちも行かなきゃいけないわけ?」
「当然でしょ」
ヴェントの問いかけに即答しながらも、さすがにティフォンも乗り気ではないようだ。すでにファーたちの後を追っていたブリズに続く彼女の足取りは、少し重い。
「しゃあねえ。乗りかかった船か」
諦めを通り越してもはや達観した面持ちで呟くと、ヴェントはティフォンと並んで歩き出した。しばらく行ってから振り返り、
「おら。テメーも来いよ、トゥース! おばさまのご指名はお前なんだからな!」
不服そうな面持ちで腕を組んで突っ立っていたトゥースだが、観念した様子で息をついた後、ようやく歩き出した。