「ここなら、彼女もゆっくり休めることでしょう」
倒れた白獣をそばのほら穴へと運び込んだ一行は、そのままほら穴の中に腰を落ち着けていた。ほら穴へと足を踏み入れたちょうどその時、雪が降り出してきたため、出るに出られなくなったのだ。
「ここは遺跡か何かかねぇ」
「かもしれませんわね。強い力が満ちた場ですもの」
ほら穴の壁面には、ミミズがのたくったような不思議な模様が一面に描かれている。奥の壁面には花のような紋様が四つ施され、それぞれの中央部にあけられた穴には、かすかな光を放つ玉が安置されていた。
「ひとつ足りない……」
興味深げに辺りを見回していたグレースがぽつりと呟く。四つの穴のうち、確かにひとつだけ空になっているものがある。
彼女の呟きに応じるように、それまで隅のほうでおとなしくしていた白獣たちが騒ぎ始めた。仲間同士でひそひそと言葉を交わし、やがてはファーやグレース、ほら穴の入り口辺りに座り込んでいるヴェントらに向かって訴えかけるような仕草を見せるが、彼らが何を伝えようとしているのか理解できる者はひとりもいなかった。グレースの「読心術」も、こう一斉に騒がれては役に立たないらしい。困ったような顔で首をかしげるばかりだ。
「ああ、もう。やかましい!」
苛ついたファーの言葉に、白獣が一瞬で黙り込む。
「お前たち、どうしても伝えたいことがあるんだろう。だったら、ひとりずつしゃべるんだね。あんたらが何を言っているのか、あたしたちにゃあサッパリわからないんだからね」
ぼそぼそとした低い囁きを交わし、互いに顔色をうかがうようにさまよわせていた白獣たちの視線が、ある仲間に集中する。倒れた白獣に寄り添っている、「村を襲わないように」と他を説得させるために案内役も兼ねて同行させた「彼」だ。
「グレース。頼んだよ」
「はい、ファー様」
一対一なら何とか意思を疎通させることが出来る。
グレースは傍らの「彼」と向かい合い、言葉としては聞き取れないような声で囁きかけた。
「ふん」
一連の騒動を興味なさそうに眺めていたトゥースは、「彼」とグレースのやり取りにも興味がないとばかりに鼻を鳴らし、ほら穴の奥へと足を向けた。
「どこへ行くつもり?」
ティフォンの呼びかけにも答えない。
この動きを見た白獣の一体が威嚇するように吠え、トゥースの前に立ちはだかった。
「どいてろ。下っ端に用はない」
穏やかな声音だったが、それに何を感じたものか、白獣の低い唸り声は次第にか細いものになり、ついには腰が抜けたように地面へと座り込んでしまった。
その横を悠々と通り抜け、花の紋様の前で足を止めたトゥースは、目の前の紋様と穴に安置された玉を子細に眺める。壁面の四つの穴には、それぞれ赤い玉、青い玉、緑の玉がおさめられているが、残りのひとつの穴には何もない。
「彼らが村へ下りてくる目的が、だいたいわかりましたわ」
グレースの言葉にトゥースは半面振り返り、わずかに目を細めた。
「その壁面に安置された宝玉……本来は四つで一組なのだそうですが、そのひとつを先日の雪崩で流してしまったらしく、彼らはそれを探して村へ下りてきているのです」
「雪崩で流したって、ほら穴ん中に置いてあるもんをどうやって……」
ヴェントの疑問にはトゥースが答える。
「宝玉を使い、外で何らかの儀式を行っていたのだろう」
「儀式って何の」
「さあな。連中に聞いてみればどうだ」
そっけない返答に一瞬ムッとして、ヴェントはすねたような顔をグレースに向けた。それを受けたグレースは苦笑に近い微笑を返して白獣と向かい合い、隣にいたファーは軽く肩をすくめてみせた。
グレースと白獣の、言葉にならないやり取りを背後にしながら壁面の玉を眺めていたトゥースは、誰にも聞き取られないほど小さく息をつき踵を返した。そのままほら穴の入り口へと足を向け、熱心に白獣の言葉に耳を傾けるグレースの傍らを通り過ぎる際には、何事か低く囁いていった。
「あら、あなた……」
グレースがわざとらしいともいえる大仰な仕草で驚いてみせ、白獣たちがのけぞるようにして低く唸るのには特に反応を示さず、トゥースはほら穴の入り口まで歩いていく。
「今度はどこへ行くつもりだよ?」
「トゥース……!」
ヴェントとティフォンの呼びかけに「すぐ戻る」とだけ言い置き、何ともいえない能天気な顔で「気をつけて」などと言ってくるブリズには微苦笑を返してトゥースはほら穴を出ていった。
「何だよ、あいつ。儀式のこと、自分で聞いてみろって言ったくせに。答えも聞かずにどこへ行くってんだ」
「――ホント、勝手なんだから」
ヴェントとティフォンの不平をよそに、白獣への問いかけを続けていたグレースが大きくうなずき振り返って言った。
「わかりましたよ、運び屋さん」
ヴェントらの視線を受け、グレースは白獣から得た答えを語り始めた。
彼らは冬の冷気と雪とを魔力の糧として生きる。四つの宝玉は結界の役割をなし、彼らの縄張りを外敵から守ると同時に彼らが必要とする冷気を保つのだという。宝玉を使った儀式は、その力を調整、確認するために行うのだが――。
「儀式の順番を間違えた?」
寒さのためにか、さりげなくティフォンの脇に身を寄せながらのヴェントの問いに、グレースは淡々とした調子で答える。
「冷気を呼び起こすつもりが、手順を間違えて熱気を呼び出してしまった――おそらく、それが原因で最初の雪崩が起きたのでしょう」
そうして宝玉のひとつを紛失してしまい、それを探して山を下りては暴れていたのだ。
「たったそれだけのことでニバコリナの村をあれだけ壊して回ったってのかよ。人騒がせにも程があるぜ」
「彼らにとっては、死活問題。それだけ必死になっていたということですわ。さすがにあの暴れっぷりは行き過ぎでしたけれど」
ヴェントのしらけたような視線と、フォローしながらも非難めいたグレースの視線、仲間の冷たい視線――それらを一斉に浴びた「彼」はバツが悪そうにうつむき、地面に視線を落としている。その様は、同情よりもむしろ笑いを誘うようだった。
「でも、興味深いことに違いはありませんわ。四つの宝玉を使った儀式。魔道に生きる者としては、是非とも一度、見せていただきたいものです。できれば、もっと詳しいお話も色々と――」
うふふという笑い声さえ漏らしそうなほど楽しそうな笑みを浮かべてひとりごちるグレースに、うなだれていた白獣は顔を上げ、問いかけるように短く唸った。
「――術士ってのは、何だってこう、変わったヤツが多いかね」
呆れたようなヴェントの呟きには似たような感想を持っていたのか、ファーが声もなく笑っている。が、グレースは心外だったのか、
「あら。何か言いまして?」
「お前が言えた立場か?」
声を重ねてきたのは、トゥースだった。のん気に「お帰りなさい」などと声をかけてくるブリズに軽く手を挙げ、ほら穴へと入ってくる。
「運び屋も、大概、変わり者だらけだ」
「むがっ?! 何しやがる!」
防寒も兼ねたヘッドバンドをすれ違いざまに目元まで引きずりおろされたヴェントは、ヘッドバンドを元の位置に戻しながらブリズとティフォンを交互に見やって呟いた。
「兄貴はともかく、俺はいたってフツーだぜ……」
直後にティフォンにどつかれて情けない声をあげるヴェントを背に、トゥースは白獣の前へと進み出た。
「お前たちが探しているのは、これだな」
差し出されたのは、銀色の玉。それを見たグレースが「あら」と声をあげるが、続けて何か言う前に言葉は小さな悲鳴へと変わった。背後にいた他の白獣たちがトゥースのほうへと殺到し、間に挟まれる形で座っていた彼女は、隣にいたファーもろとも押しつぶされそうになったからだ。
「こんの馬鹿どもが……。大丈夫かい、グレース」
「ええ、何とか」
寸でのところでグレースの手を引いて白獣たちの前から退避したファーは、いまだ倒れたままの仲間をも踏みつけそうなほどの彼らの勢いを見て、怒りを通り越して呆れ顔だ。それでも、人ひとりに集団で群がる巨体をどうにかしようと立ち上がる。
その眼前で、白い巨体が飛んだ。
一体が壁まで吹き飛ばされ、残りはその勢いに押されてよろよろと倒れこむ格好だ。
立ち上がった姿勢のまま、驚いたような感心したような目でトゥースを見やるファーの後ろで、壁に叩きつけられた白獣が抗議の声を漏らす。
「誰が簡単に返すと言った?」
言いながら、トゥースは挑発的に口の端をつり上げてみせる。
「交換条件だ」
暖かい日差しに、純白の雪がきらきらと輝いている。
山の上部はまだまだ雪深いが、ふもとの雪は昼近い太陽の光を受けてぬかるみ始めていた。
「じゃあね、グレース。達者でね」
「ええ。ファー様も、お元気で」
雪山を下山したその翌日、ニバコリナを出立するというファーを見送るため、グレースは村の入り口までやってきていた。途中で合流したヴェントとティフォンは、少し遠巻きに彼女らの別れを眺めている。
「ぼうや。本当に一緒に行かなくていいのかい?」
「どうぞ、ご心配なく」
呼びかけてくるファーに、ヴェントは疲れた声で返した。
ヴェントは明日、ニバコリナを発つ。行き先が同じらしいと知ったファーが同行を申し出たのだが彼はそれを拒否し、一緒に行くの行かないのと、つい先ほどまで激しく言い合っていたのだ。
少し残念そうに肩をすくめると、ファーは再度グレースと別れの言葉を交わしてニバコリナを出ていった。
「さて。私も、そろそろお暇しますわ」
名残惜しそうにファーの後ろ背を見送りながら、グレースは言った。
「あなたは明日、出発でしたわね。道中、お気をつけて」
「うん。おばさんも元気で」
ファーに対するよりは幾らか明るく応じた後、その返答を聞いたグレースの目が笑っていないことに気づいたヴェントは慌てて言い直した。
「おねーさんも、お元気で」
思わず失笑しながらも小さく会釈し、グレースは村の奥へと去っていった。
「俺たちも、宿に戻るか」
「そうね」
しばらく立ち尽くした後、二人は宿に向かって歩き出した。
「ねえ。ファーさんのことはともかく、本当にいいの? ブリズのこと、待たなくて」
「あ? ああ。まあ、いいんじゃねえの? あれはあれで楽しそうだし」
雪山での一件の後、ヴェントとともに一度は宿に戻ったブリズだったが、すぐにティフォンを伴ってブラッディリーグの拠点へと向かっていった。
その夜をひとりで過ごしたヴェントはニバコリナの運び屋ギルドで仕事を取り、早朝、それを伝えにブリズの元へと走ったのだが、「今度は本気の運びをともに」とのヴェントの期待を裏切って、ブリズはすでにニバコリナへ留まることを決めてしまっていた。
トゥースが白銀の剣を作るまで、てこでも動かないつもりらしい。
「しっかし、あれだよなあ……確かに、白銀の剣を現物で弁償してもらうって言ってたけど、まさか本当に完成するまでそばで待ってるつもりだったなんて、こっちは思ってねーもん」
ふてくされたような顔で、ヴェントは続ける。
「しかも、昨日はあんな人のいい笑顔で『無期限で待つ』なんて言っておきながら、今朝になって見にいったら、今すぐ作れ! 作るまでそばを離れない! だもんなあ……何だって急にあんなに態度が変わったんだろう、兄貴」
「うーん……」
少し考えるように唸ってから、ティフォンが答える。
「たぶん、これのせいかも」
彼女がふところから取り出したのは、一振りのナイフ。
「……白銀のナイフ?」
「そう。ワンダで作った腕輪を改造しなおしたの」
「ふーん……って、ニバコリナに改造屋なんてあったっけ?」
「改造屋じゃないわ。トゥースに改造してもらったの。何でもいいから武器に変えてってね。しようもない目的のために、散々、皆に迷惑かけたんだから、それぐらいの要求はのんでもわらなきゃ」
思い返しただけでも腹が立つといった様子で顔をしかめ、ティフォンは両拳を握り締めた。
彼女が怒った原因は、雪山でトゥースが白毛の獣人たちに突きつけた銀の玉との交換条件にあった。
彼らの長と、宝玉による儀式を行う者にのみ代々伝わる秘術の伝授。それがトゥースの掲示した条件だった。
白獣たちがニバコリナの村へ最初にやって来たときに引き連れていた白い狼。それは生命を持った獣ではなく、雪から作られた魔獣だった。それらを作り出した術こそが、白獣たちの間に伝わる秘術。術者の魔力と強いイメージを魂として雪に宿し、使い魔として自在に操ることができるのだ。普段は宝玉の結界とあわせて配置し、縄張りの守護獣として使っているらしい。
「これを応用すれば、岩や炎の魔獣を作り出すことも可能なわけだ。連中は狼を作っていたが、私ならドラゴンを作る」
嬉々とした表情で白獣たちとの交渉に入るトゥースに、ティフォンは「守護目的の魔獣なんて、今更あなたには必要ないでしょう?」と疑問を漏らした。どうしてそんな術を知りたがるの? と。
それに対するトゥースの返答は、単に「格好良いから」だった。
トゥースはまだ何か言っていたようだが、そのひと言でキレたティフォンは「ふざけんじゃないわよ!」と、ファーやグレースはおろか、白獣たちまでもがギョッとするほどの剣幕でひとしきり怒鳴り散らした後、ちょうど外の雪もやんでいたため、そのままトゥースを残して雪山を下りてきたのだった。ヴェントは慌てて彼女を追い、ブリズは全く動じることなくのん気に別れの挨拶を吐いてから先のふたりの後を追った。白獣たちの秘術に興味をひかれたらしいグレースも、ファーに促されてほら穴を出ていったため、後にはトゥースと白獣たちだけが残された。
「ティフォン、昨日は相当キレてたもんなあ。俺も、大概、頭にきたけど……」
苦笑を漏らしながら、ヴェントは口の中で呟く。
「まあ、カッコイイものに憧れるキモチは分からないでもないかな、同じ男として」
「ヴェント君、何か言った?」
不気味な笑顔を浮かべるティフォンに慌てて「何にも」と弁解し、ヴェントはすかさず問いかけた。
「でさ、そのナイフが兄貴の態度が豹変した原因になったって、どういうことなんだ?」
「ああ、それはねえ」
ティフォンの返答によると、腕輪の武器への改造作業を横で見守っていたブリズは、ナイフが完成した途端に白銀の剣を作るよう、コワイ顔でトゥースに迫り始めたらしい。どうやら、精霊銀製の武器を見たことで彼なりに抑えていた白銀の剣への熱い思いに火がついたようだ。
「兄貴、白銀の剣に執着しすぎだっつーの」
呆れ顔で言って、ヴェントは大きく息を吐いた。空を仰ぎながら、続ける。
「あー! でも、残念だな。サドボスへの運び、一緒にやりたかったなあ」
「だったら白銀の剣ができるまで待てば良かったのに」というティフォンの言葉には、「それはパス」と即答する。
「ニバコリナまで来た目的は、一応、果たしたんだ。兄貴には悪いけど、これ以上こんな寒いトコに長居したくないんだよね」
「まあ、懸命な判断だと思うわよ」
言いながら、ティフォンは小さく肩をすくめる。
「剣難峡も樹海も、ブリズにとっては鬼門なの。そりゃあもう、一般人以上にね。一緒に行ったらロクな目にあわないわよ」
半笑いになっているティフォンの横顔を難しい顔で眺めながら、ヴェントは首をかしげている。
「……っていうかさ。ティフォンがそのナイフを兄貴に譲ってくれりゃあ、一緒にサドボスまで行けるんだよな」
「嫌よ! これは私のよ、誰にも渡さないんだから。いざって時に、これでトゥースを脅すのよ。吸血鬼は精霊銀に弱いっていうからね」
自身の口元がやや凶暴な笑みに引き歪んでいるのを知ってか知らずか、ティフォンは鞘に収めたままのナイフを頭上に掲げてみせた。そんな彼女を複雑な面持ちで眺めた後、ヴェントは気を取り直すように、
「精霊銀、弱点なんだ。俺も何か作ろうかな……」
何やかやと言い合っているうちに、やがて宿が見えてきた。
「そういえばさ、話を蒸し返すようで何なんだけど」
心持ち歩みを速めながら、ヴェントがおずおずといった調子で切り出す。
「トゥースのヤツ、あの獣人たちに魔獣作りの術を教わったんだろ? あれ、結局どうなったんだ? 兄貴もティフォンも、昨日はトゥースのところに行ってたけど、俺は宿に残ってたから、どうなったのか知らないんだよね」
兄貴に聞いてもテキトーにはぐらかされてよくわかんねーし、と続けるヴェントの言葉尻に、ティフォンの小さな笑い声がかぶさる。
「……何?」
訝しげに問うヴェントに、ティフォンは笑いをこらえるのに必死といった様子で答えた。
「ドラゴンは作れなかったの。代わりに、マッチョな壮年のおじ様が……」
「はあ?」
あまり要領を得ない返答に、ヴェントはただただ首をかしげるばかりだった。
「――早く作らないと、ファントム呼び出しますよ」
脅すような言葉の内容とは裏腹に、ブリズはのほほんとした調子で言った。だが、その目は全く笑っていない。
ブラッディリーグの拠点である古びた砦の一室。窓際に置かれたイスに座る彼の足元には、やけに大きな白い猫が寝そべっている。
白銀の剣を作る作業を続けていたトゥースは振り返り、分厚い本やら乾燥させた植物やらが乱雑に置かれた長机の向こうから苦い顔で問いかけた。
「貴様の魔獣は、何故にそうも形状にばらつきがあるんだ?」
「逆に、どうしてあなたはひとつしか作れないんですか?」
質問に質問で返され、トゥースは難しそうに眉根を寄せる。
白獣たちの秘術は、教わってみれば実に単純な術で、ある一定以上の魔力さえ備えていれば誰でも扱えるものだった。ただし、魔獣の姿を定着させるために必要となる、術者のイメージがポイントなのだ。その場で思い浮かべたイメージではなく、術者の本質にかかわる深い部分で強く影響を与えているもの――必要とされるのは、その存在のイメージだった。
「本来ならば、ひとりの術者が一種の魔獣を作り出すのが限度だろうに」
トゥースが作り出したのは、ナイト・オブ・ザ・ラウンドテーブルの一体だった。
白獣たちから話を聞く中で「魔獣の姿を自在にコントロールすることはできない」と判明したのだが、それでもトゥースは自身に強い影響を与えているのはドラゴンに違いないと、半ば祈るような思いで魔獣を作り出した。その結果がファントムだったことに対する彼の落胆ぶりは酷いものだったが、もっとも、ラウンドテーブルといえば全ての吸血鬼を束ねる不死者の王。当然といえば当然の結果ともいえた。
「……最初は狼。次がドラゴンで、その後がファントム。そして今は猫か。いったい、何をどうやればそうなるんだ。無意識のうちに、全く別の術を発動させているとしか思えん」
銀の剣と獣石を手に疑問を漏らすトゥースの背中に、ブリズは何でもないことのように「コツがあるんですよ」と答えてにっこり笑う。
「何も考えないでいればいいんです。そうすれば、案外、簡単に魔獣の姿をコントロールできますよ」
「本当に何も考えていないのなら、そもそも制御不能ではないか」
銀の剣を掲げ、言葉に込めた疑問とは別の部分に対してトゥースは首をかしげた。その様子を見て、ブリズは急に真顔になり、
「またダメでしたね。獣石、それで何個目でしたっけ?」
「五……いや、六つ目だ」
返答に、同じように首をかしげてみる。
「ティフォンは一発で精霊銀を作ったんですよ。その剣、いったい、いつになったら白銀の剣に変わるんですか?」
「まあ、そう急くな。自然銀の精霊銀への変異率は、一割。そのうち変化するだろう」
「十パーセントじゃない。十五パーセントです。そんなアバウトな姿勢で改造にのぞむから、変異しないんじゃないですか」
細かい数字にこだわるブリズに、トゥースはやれやれとばかりに首を振り、手近に転がっている獣石のほうへと手を伸ばす。
「それよりもだ。お前の弟は明日ニバコリナを出立するようだが、本当にいいのか、ここで別れても」
「あの子なら大丈夫。あれでも立派に一人前の運び屋なんです。俺がいなくたってサドボスへの運びはきっちりやり遂げてくれますよ」
少し誇らしげに言って、ブリズは胸を張ってみせた。それをちらりと見やり、トゥースは「一人前かどうかは疑問が残るが……」などと言いながら微笑している。
「まあ、お前がそう言うのなら、余計な心配は無用なのだろうな」
「そうです。だから、トゥースさんは安心して改造作業に集中してください」
「わかった、わかった……」
辟易した様子で答え、一瞬の間の後、トゥースはうろたえたような呻き声を漏らした。
「……どうしました?」
イスに座ったまま、前屈みに問うブリズ。ゆっくり振り返ったトゥースは、剣を掲げながら、
「すまない。廃石になった」
「……!!」
一瞬、ふたりの間に気まずい空気が流れる。
「お前が持ってきた獣石の中に、雑木がまぎれていたようだな。話に気を取られて全く気がつかなかったが……おい、どうした?」
ふらりと立ち上がったブリズを見上げ、トゥースはほんのわずかばかり顔を強張らせた。
「自然銀の廃石への変異率は、精霊銀と同じ十五パーセント……同じ確率の作業で、どうして廃石への改造は一発で成功するんだ? そんな酷い話、ありえないだろう……」
「落ち着け、ブリズ。落ち着いて、話を聞け」
うつむき加減に言い募るブリズに、トゥースは慌てて立ち上がって声をかけるが、一足遅かった。
「いでよ――ファントム!!」
「……!!」
呼びかけに、ブリズの足元にいた雪の猫が姿を崩し、人の形へと変化していき――
「きゃっ! な、何……?」
遠くからのかすかな地響きに、ティフォンはびくりと身を震わせた。宿屋の戸口に手をかけていたヴェントも、驚き顔で音のしたほうへと首を巡らせている。
そこにもう一度、重々しい地響きが起こる。
「兄貴と、トゥースか……?」
「ケンカ、かしら」
ブラッディリーグの拠点のある方向を眺めながら、ふたりはぽつりと呟いた。しばらく同じ方向を眺めた後、どちらからともなく顔を見合わせる。
「どうする? 様子、見にいってみる?」
「うーん……」
険しい顔で短く唸った後、一転、晴れ晴れとした笑みを浮かべてヴェントは答えた。
「いや、いいよ。面倒くせェし。寒いし」
「――そうね。運びの準備しなきゃいけないんだもんね」
またも大きな音が鳴り響いてきたが、ふたりはもう気にすることなく宿の中へと入っていく。
「ねえ。サドボスへの運び、私も一緒に行くわよ。いいわよね?」
「お。いいねえ。女の子とふたり旅か。へっへっへ」
「……その笑顔。何か、下心ォ?」
「気のせい、気のせい」
続く地響きに、扉の閉まる音が重なる。
楽しそうなふたりの声は、宿の中へと消えていった。