「へえ。これがあの有名なダマスクス」
ヴァフトームの冒険宿の一室。簡素なテーブルの上にうやうやしく置かれた一振りの剣を眺めながら、ブリズは呟いた。そうして、床に両膝をつき、テーブルの端に頬づえをついた格好のまま、そばの椅子に腰かける少年に改めて目を向ける。
「で、ヴェント。これが何だっていうんだ?」
「白銀の剣の弁償にって、トゥースから預かってきたんだ。一緒に手紙も預かったぜ」
手渡された手紙に目を通して、ブリズは小さく吐息をついた。
「……何で、ダマスクス? 現物で弁償してくれって、あんなに強く言ったのに」
恨めしそうに呟いて立ち上がり、テーブルの上の剣を手に取る。鋼よりもやや黒みを帯びた刀身が、ランプの光を受けて鈍く輝いた。
「まあ、いいんじゃねーの? 精霊銀よりダマスクスのほうが強いし。売れば高いし」
「弁償の品を売っ払ってどうするんだ。ああ、とにかく、これは受け取れないな」
言って、剣を鞘に戻すブリズを見上げ、ヴェントは小首をかしげる。
「受け取れないって、兄貴、どうするつもりだよ?」
「返しに行く」
さらりと言ってテーブルの上に丁寧に剣を置き、ブリズはベッドへ向かった。
「兄貴。あいつ、今、ニバコリナだぜ? マジで行くつもりなのか?」
「当然。行って、直談判だ。白銀の剣、現物できちんと弁償してもらってくるよ」
「マジかよ……」
「じゃあ、明日は早いから、兄ちゃんもう寝るよ。お休み、ヴェント」
ベッドの中から手を振ってくるブリズに思わず手を振り返してから、ヴェントはふと思いついたように言った。
「な、なあ、兄貴。俺もついていっていいよな。ニバコリナへの、運び……!」
期待に満ちた瞳を輝かせるヴェントに、しかしブリズからの返答はなかった。聞こえてくるのは、穏やかな寝息。
「寝るの早っ!」
幻滅したような様子で首をうなだれると、ヴェントはふらふらとした足取りで部屋を出ていった。
翌日。
日も昇らぬうちにやってきたブリズに、ヴェントは叩き起こされた。そのままわけもわからず冒険宿から引っ張り出され、今はロングシャンク行きの船に揺られながら小さくなっていくヴァフトームの町並みを眺めていた。
ロングシャンクからはゾマー、ワンダを経てニバコリナへ向かうことになる。
こりゃあ、長くなるな。苦笑めいた微笑を浮かべながら、ヴェントは船内へと身をひるがえした。
ロングシャンクへ到着し、ゾマーも何事もなく越えることができた。ワンダへ到着したころ、ニバコリナ方面からやって来たらしい運び屋が声をかけてきた。
「おい、あんたら、ニバコリナへ向かうなら気をつけな。四日降り続いた雪で雪崩が多発してるところに地すべりが起きたあげく、どデカイ魔物が大暴れして散々な状態らしいぜ」
そう言うと、その運び屋はワンダを発っていった。
「雪崩に地すべりに魔物だってよ。ホントに散々だな」
「異常気象かな。大変だ」
緊張感のないトーンで呟くブリズに曖昧にうなずき返して、ヴェントは言った。
「で、兄貴、どうする? 向こうはヤバイ状況みたいだけど、やっぱり行くのか、ニバコリナに」
「当たり前だろ。ここまで来て引き返すっていうのか?」
やや及び腰になっているヴェントに向かって、ブリズは続ける。
「さっきの運び屋が、どれぐらい前の状況を語ったのかはわからないけど、雪はともかく、魔物はすでに退治されてるんじゃないかな。まだだとしても、ここからニバコリナまではまだ長い。着くころには何とかなってるさ」
言って、けらけら笑うブリズに、ヴェントは不安げな顔で返す。
「まあ、そうなんだろうけどさ。でも、その時にトゥースのヤツがまだニバコリナにいるかどうかは保証ないんだぜ?」
「その時はそのときさ。ブラッディリーグの拠点って、確かニバコリナだろ? その辺で組織の人をつかまえて、伝言をつけて渡せばいいよ」
軽い調子で答えて、ブリズは布にくるんで脇に抱えていた黒鋼の剣を掲げてみせた。
「ああ、まあ、そうか。そうだろうな。ってか、兄貴ってそういうとこ、すんげぇアバウトよね。よくそんなんで運び屋界のカリスマなんて呼ばれてたよな」
「何を言ってるんだ。兄ちゃんはいつでも本気なんだぞ。まあ、今回の運びはプライベートな案件なんだ。そんなに神経質になる必要はないよ。第一、剣は壊れ物じゃないし」
そのわりにはやけに厳重に梱包している。
諦めたような顔でうなずくと、ヴェントは何気なく前方の改造屋に目を向けた。
「んん? あれはティフォンじゃないか」
数秒前までの不安顔が嘘のように、嬉々とした笑みを浮かべるヴェント。すれ違った人間が思わず振り返るほどの大音声で呼びかけると、改造屋の前でうろうろしていたティフォンは小さく悲鳴をあげて振り返った。
「な、何だ、ヴェントか。おどかさないでよ」
「改造屋の前なんかで、何してるんだ? 武器の新調?」
「あ……ううん、違うのよ」
なぜか言いよどむティフォンの手には、銀の腕輪が握られていた。
「それ、精霊銀に変えるつもりなのか?」
ヴェントの後ろからブリズが問うと、ティフォンは強張った顔でうなずいた。
「改造は運任せなところが多いからなあ。がんばって。プレイヤーはリセットできるけど、俺たちはできないからね。俺も、白銀の剣を作るのにどれだけ獣石を費やしたことか……」
「兄貴、どんだけ白銀の剣に執着してんだよ」
何やらブツブツと愚痴りだすブリズと、その傍らで呆れ顔のヴェントを見て、ティフォンは苦笑を浮かべる。
「何の話をしてるんだか知らないけど、あんた達はふたりして何してるわけ? 家に戻ってきたって感じでもないし」
視線はブリズが抱えている布包みに移る。
「ああ。運びの途中?」
ブリズが口を開く前に、ヴェントが興奮した様子で答えた。
「すげーだろ。初の兄弟そろっての運びなんだぜ? 仕事じゃないあたりがちょっとアレだけど……俺、何かもう、感激の涙で前が見えないよ……」
「あはは。まあ、ブリズと旅して今まで何事もなかったんなら、僥倖よね。今後の無事も祈ってあげる」
トゲのある言い方だなあ、というブリズの呟きは無視してティフォンは続けた。
「念のためにきいておくけど、目的地はどこなの? まさか、ニバコリナだなんて言わないわよね」
少し不安そうな顔になるティフォンに、ブリズとヴェントは顔を見合わせた。
「そのまさかだよ。俺たち、これからニバコリナへ向かうんだよ。な、兄貴」
ティフォンは小さく息をついて、忠告するように言った。
「それなら本気で無事を祈らなきゃダメね。気をつけて。向こうは大雪で足元が悪くなってるわ。それに、魔物も暴れてるし」
「さっき、どこかの運び屋から聞いたよ。でも、雪はともかく、魔物はもう退治されたんじゃないか?」
「まだよ」
ブリズの楽観的な予想を短く否定して、ティフォンは呟くようにつけ足す。
「トゥースがワンダに来ないってことは、魔物はまだ健在ってことよ。あれから二日経つっていうのに、随分てこずってるみたい。まさか、あの人がやられるってことはないと思うけど……」
ブリズとヴェントは再び顔を見合わせた。ごほん、とわざとらしく大きな咳払いをして、ヴェントが問いかける。
「つまりだ、あれか。トゥースの野郎が魔物と戦ってるってのか?」
うなずくティフォン。意外そうに目を丸くして、ヴェントは息をついた。そうして、ブリズのほうを振り返って言う。
「良かったじゃん、兄貴。あいつ、まだニバコリナにいるってさ」
「何だか心配だな……」
ニバコリナの方角を眺めながら呟くブリズに、ヴェントは「心配するだけ無駄だって」と軽い調子で言って笑った。ティフォンはふと思いついたように、
「あ……、ねえ、ふたりとも。どうせ、ワンダを出るのは明日なんでしょ? だったら、私も連れてって」
「それはいいけど、急にどうしたんだ?」
「実はね、魔物退治が終わったらトゥースが迎えに来ることになってるの。でも、ただ待ってるだけじゃ不安になっちゃうから」
「迎えに来るんなら、ワンダを離れていいのかよ」
突っ込むヴェントに、ティフォンは「大丈夫、大丈夫」と軽く答える。
「まあ、明日になってもトゥースが来なかったらでいいわ。あんた達も、あの人がワンダに来ればニバコリナまで行く必要はなくなるんでしょ?」
「まあ、そうだけど……」
「じゃあ、決まりね。よーし、明日までに精霊銀を作るわよ!」
やや強引に仲間に入ってきたティフォンは、そう言うと改造屋の中へと消えていった。
「とうとう来なかったわね、トゥース」
翌日、冒険宿で目覚めたティフォンは、あくびをかみ殺しながら呟いた。
ワンダの入り口で合流したブリズとヴェント、ティフォンはニバコリナを目指してワンダを出発した。
「ホラ、見て! 精霊銀、一発で作れちゃった。すごいでしょ」
「こ、こりゃすごい……。その調子で俺に白銀の剣を作って……」
「だから、どんだけ精霊銀に執着してんだよ、兄貴」
わいわい騒ぎながらの道中、日が真上にやってきたころに三人は休憩をとった。その間に、ティフォンがニバコリナで起きたことをブリズとヴェントに話して聞かせた。
数日続いた雪がやんだニバコリナでは、雪崩とともに地すべりが発生し、周辺の人々は右往左往していた。そんな中、雪山から魔物の群れが下りてきたのだ。
純白の長い体毛で身を包んだ獣人と、同じく、雪のように真っ白な狼の姿をした魔物。
身の丈三メートルを越す白毛の獣人たちが繰り出す一撃は、大地に穴をあけるほどだった。
ブラッディリーグの拠点である砦にも、彼らは現れ、偶然居合わせたティフォンを転送の術でワンダへ避難させた後、トゥースは暴れまわる魔物たちを追い払うべく立ち向かっていったのだという。
「現場についたら、やられた後だったりしてな」
「縁起でもない言い方するなよ、ヴェント。白銀の剣を作ってもらうまでは、死なせるに死なせられないんだから」
おかしな言い回しをするのね、とでも思ったのか、ブリズの言葉にティフォンは曖昧な笑顔で首をかしげた。
休憩を終えた三人は、再び歩き出した。
やがて、雪深い地域に差しかかり、その日は日没ぎりぎりにたどり着いた村落に身を寄せた。翌日も同じように小さな村落で宿をとることが出来たが、その翌日は猛吹雪に見舞われ、外に出て行くどころではなかった(ブリズがやけに嬉しそうに出発しようとしたが、残りのふたりが必死に止めた)。
更にその翌日、村落を出た三人は、雪深い街道をかきわけるように歩いていた。
「あー、痛ぇ。足、いてー。後、顔もー」
両脇の雪を殴りつけながら、ヴェントが情けない声で言った。先頭を行くブリズが、振り返って言う。
「情けないなあ。これぐらいで根をあげるようじゃ、立派な運び屋にはなれないぞ。この運びが仕事だったら、昨日の吹雪の中だって出ていかなきゃならなかったんだ」
だって今回は仕事じゃねェじゃんよ、と再び情けない声を漏らすヴェントの前で、ティフォンは小さくため息をつきながら呟いた。
「あんな明らかに命取りな天候でも出て行こうとするの、あんたぐらいだよ、ブリズ」
実際、彼女らより先に村落についていた運び屋も、吹雪の中を出て行こうとはしなかった。
「ともかく。仕事だろうとプライベートだろうと、運びをやる以上は全力でやる。それがラファールのモットーなんだ。よーく覚えておくように」
「ふあい。了解でーす、リーダー」
本当にわかったのかどうか怪しい声で返すヴェントにうなずき返し、ブリズは前に向き直った。
それから三人は黙々と雪道を歩いていたが、黙っていることが出来ないのか、十分もしないうちにヴェントがティフォンに声をかけた。
「なあ、ティフォン。トゥースのヤツと別れてから、一週間近いんだよな。いくらなんでも、魔物なんかぶちのめしてお前を迎えにワンダに行ってんじゃないか、あいつ」
「さあ、どうかしらね」
「どこ探してもティフォンがいないから、かんかんに怒ってたりしてな」
言い合っているうちに、前方にかすかに人影が見えてきた。どうやら、地すべりの復旧作業をしている男たちのようだ。そのそばへたどり着く前に、傭兵らしい男に呼び止められ、ニバコリナへは別の道を迂回するように命じられた。
途中、雪がちらついたりもしたが、ニバコリナ周辺の道は除雪がしっかりされていたため、難なくニバコリナにたどりついた。
村に近い場所で再び雪崩が起きたのか、スコップやらつるはしやらを抱えた人々が怒声とともにせわしなく走り回っている。
「村の外にも中にも、魔物なんか見当たらねーじゃん」
手袋ごしに手に息をはきかけながら、ヴェントがぼやいた。石畳や家々の壁の所々に陥没したような穴があいているのは、おそらく魔物の襲撃によるものなのだろうが、魔物自体の姿はどこにもない。
「平穏なものね。魔物は無事に退治されたのかしら」
辺りを見回しながらのティフォンの呟きに、ブリズもヴェントも答えることが出来ない。
通行人をつかまえて聞いたところによれば、白い狼の多くは駆逐されたが、獣人のほうは取り逃したらしい。彼らは早朝になると山から下りてきて村を襲撃してくるが、昼には山へ帰っていくのだという。村の中を徘徊するその姿は、何かを探しているようにも見えるらしいのだが……。
「ブラッディリーグのアジトはどうなったのかしら……」
通行人と別れた後、ティフォンがぽつりと呟いた。
ブラッディリーグの拠点はニバコリナの村からはかなり離れた場所にあるため、またしばらく歩きづめになる。少しの間、休憩を取り、体力を回復してから様子を見に行くことになった。
一時間後、三人はブリズを先頭にしてブラッディリーグの拠点を目指して歩いていた。その道中はまともな除雪がなされていないためにかなり足元が悪く、ヴェントは終始ぶつぶつと愚痴を口にしていた。
やがて、廃屋なのかと思わせるような不気味さをただよわせた砦にたどりついた。
入り口らしき扉の前に、小柄な老人が佇んでいるのが見える。
ブリズとヴェントに止まるよう指示し、そのままこの場に待機するよう言い置くと、ティフォンは雪に足を取られないよう慎重な足取りで老人に近づいていった。顔見知りらしいふたりは、しばらく言葉を交わしていたが、その声はブリズとヴェントの耳には届かない。
「ええっ?!」
唐突に、ティフォンが驚いたような声をあげた。慌てた様子で何事か問いただす彼女に、老人は無表情な顔でゆっくりとうなずいている。
「ちょっと、ふたりとも!」
せわしない動きで手招きするティフォンに只事ならぬ気配を感じ、ブリズとヴェントも彼女らのもとへと急いだ。
「あの人、トゥースがずっと帰ってきてないらしいの」
動揺した様子で言ってくるティフォンに、ブリズもヴェントも困惑した顔を見合わせるぐらいしか出来なかった。無表情のまま、老人は口を開いた。
「魔物どもが最初にニバコリナを襲撃してきたのは一週間ほど前のことですが、トゥース様はその時、魔物どもを追って山へ向かわれたきり戻られておりません。村にもこの砦にも、定期的に魔物どもがやってきますが、この砦はあの火に守られ、何とかヤツらの襲撃から免れております」
言いながら、老人は砦の隅を指先で指した。見れば、砦を囲むように配置された松明の火が確認できた。
「そういえば、何だか臭うわね。あの火は何なの?」
「山へ向かわれる前にトゥース様から指示を受け、私が焚いたものです。獣や獣人を遠ざける効果をもつ香油を燃やしているのです」
寒さに震える身体を抱きながら、ヴェントが老人に問いかけた。
「あんなちっぽけな火で、魔物を追い払えるってのか?」
老人は黙したままうなずく。
「だったら、ニバコリナの村の周辺にもあの松明を置いておけば、当面は魔物の襲撃から守られるってことだよな」
「そうでしょうな。しかし、私はそこまでの指示は受けておりませんので」
機械的な調子で返す老人に、ヴェントはあからさまに不快そうな顔をした。
「なあ、兄貴、どうするよ。トゥースのヤツ、ここにはいないってさ」
「探しに行くよ」
平然と言ってのけるブリズに、ヴェントばかりか、無表情を保っていた老人さえもがその顔に驚きの色を浮かべた。ただひとり、ティフォンだけが「やっぱりね」とでも言いたげな顔で額に手をやり、首を振っている。
「探しに行くって……兄貴、あの雪山を登るってのか? もしかして、それって俺も行かなきゃだめ?」
「何だ、行かないつもりなのか?」
ふたりで行く気満々のブリズに、ヴェントは力なくうなだれ、小さく呟いた。
「ああ、もう、別にいいんだけどさ……」
その横から、老人が静かに言った。
「山を登られるのなら、明日の朝まで待つが良いでしょう。山を下りてきた魔物どもが山へと帰るのを追えば、自然とトゥース様のもとへとたどり着くことができるはずです」
その言葉に、ブリズは真剣な顔でうなずいている。それを見たヴェントは、強制的に雪山へ同行せざるを得ない空気を感じて空を仰いだ。ぶ厚い雲におおわれた空だった。