アキラ君の人間観察記-10-

「今度はなんなんだよ……」
野次馬する気力すら失くしつつ、それでもアキラは声の出所を探して首を巡らす。
いつの間にやって来たのか、仲良くチヂミをつついていたリノアとスコールのとなりに、見慣れない金髪の少女が現れていた。もぐもぐと口を動かしているのを見れば、チヂミの最後のひと切れを横から盗み食いしたようだ。リノアが両の拳を振り回して怒っている。慌ててユウナがふたりの間に割って入る。
これを遠巻きに見ていたアキラは、目を細めながら疑問を口にした。
「……誰だ、あれ」
「召喚士サマのいとこだよ。呼んでもいねーのに、面倒くせーのが来たなあ」
相手が手練れの戦士やラスボス級の黒幕ではないためか、今度は仲裁に入るつもりらしい。さも嫌そうな声音で答えながらも、ゴージュは騒ぎの源へと歩いていった。
ユウナの制止もむなしく、とっ組み合い寸前の少女ふたりを強引に引きはがす。
「いい年した若い女が、食い物ひとつで殴り合いの喧嘩なんかするなよ!」
「だってこの子が私のチヂミを食べたんだよ! せっかく私がスコールのためにって、愛情たっぷりそそいで焼いたチヂミを!」
「いや、焼いたのはアキラだろ」
ゴージュとスコールの異口同音のツッコミに、リノアは眉を吊り上げる。そんな彼女に、ユウナのいとこだという少女は、ゴージュの後ろでにこにこ笑いながら言った。
「へっへーん。リノアも『盗む』が使えたら、盗み返せたかもしんないのにねー。つけてるG.F.がリヴァイアサンじゃ、『ぶんどる』も使えないもんね。残念でした」
「ちょっと、リュック!」
あおるような物言いにユウナが思わずたしなめるが、少女、リュックは悪びれる様子もなくぺろりと舌を出した。
「あー、くやしい! スコールがジャンクションしてるの、ディアボロスだよね。私のリヴァイアサンと交換して!」
「バトル中にジャンクションのやり直しはきかないんだぞ、リノア」
「じゃ、いったん退避!」
面倒くさそうに答えるスコールの腕を引っつかみ、リノアはこの場からともに走り去ろうとうながした。が、その気のないスコールは立ち上がろうともせず、ぼそりとつぶやく。
「アンサガ界に『逃げる』コマンドは存在しないんだよな」
「うそ」と叫んでリノアは後ろを振り返った。残念そうな顔でゴージュがうなずき、その後ろのリュックは自身を指差しながら、口の動きで「残念でした」と伝えてきた。
「あたしの前で油断したのが悪いんだよ。ホント、ご愁傷様!」
挑発するような口調を崩さないリュックに、ゴージュは元より、ユウナも諦め顔だ。リノアはぷっと頬をふくらませ、すぐに何かに気づいたように瞳を輝かせた。
「そうだ、『たべる』があるじゃない! エデン、つけといて良かったあ!」
「げげっ?! ちょっと待ってよ!」
物騒なコマンド名を発するリノアに、さすがのリュックもうろたえた。
当のリノアは周囲の凍りついた空気を気にもせず、唖然としているゴージュを押しのけてリュックの両肩にそっと手を乗せる。
「吐いて戻せなんて言わないから。ちょっとおとなしくしててね?」
「無茶言わないでよ!」
満面の笑みを近づけてくるリノアから逃れようと、リュックは助けを求めるように周囲を見回した。が、最後に行きついたユウナは、諦めたような顔で「自業自得だよ……」と漏らすばかり。激しく上体を振り回すリュックだが、意外に強いリノアのホールドから逃れることは出来なかった。
「――放送事故防止のためにも、助けてあげたら?」
少女らのやりとりを眺めていたルビィが、誰にともなく呼びかけた。ヴェントに席を譲られる形でルビィのとなりに座ったサファイアは、黙々と野菜炒めを食べ続けている。ヒロユキも、やはり黙ったまま首を振るばかり。ヴェントだけが律儀に、どこか遠くを見るような面持ちでルビィの言葉に答えた。
「ゴージュに任せようぜ。ユウナちゃんも言ったじゃん、自業自得だってさ」
「ふーん」
カワイイ女の子がピンチとあらば、何を置いても助けに入るヴェントが珍しくすげない返答をしたので、ルビィは意外そうにヴェントのほうを見た。
自然に視界に入ったサファイアが、空になった皿を膝の上に乗せてくすくすと笑っているのに気づいて、小首をかしげる。
「何よ、姉さん。楽しそうねえ?」
「だって、ルビィ……ほら」
うながされたルビィは、リノアに抱きつかれながら悲鳴を上げているリュックに目をやる。
「今まさに、食べられようとしてるとこ?」
姉の言いたいことがわからず、ルビィは眉をひそめる。
食後の茶をひと口すすり、サファイアは厳かに返した。
「この『たべる』コマンドは不発よ。なぜなら、『たべる』は人型モンスターには使えないから――そうでしたよね、スコールさん」
「その通り」
サファイアの呼びかけで初めてスコールがそばに来ていることに気づき、ルビィは声を上げた。
「うわっ、ビックリした。あんた、いつの間に……」
ヴェントが半笑いを浮かべながらスコールに声をかける。
「なんだよ、スコール。お前、逃げられないなんて言っておきながら、しっかりこっちに退避してんじゃん」
「こんなこともあろうかと、リノアとはパーティを組んでなかったんだ。案の定、この騒ぎだろ。万一に備えておいて良かったよ」
「……なるほどね」
その辺に散らばっていた空の皿をテキパキと片づけながら、つぶやくように答えるスコールに、ヴェントは納得顔でうなずいた。騒々しい攻防を続けながらも、リノアとリュックが何やら愕然とした様子でこちらを見ていることに気づき、少し困ったような表情を浮かべる。
「――だいたいさあ」
スコールの後ろからひょっこり顔を出したティーダが、苦笑まじりに言った。
「エイト界、ナイン界と、近所の世界にあるコマンドを知らないなんて、勉強不足なリュックが悪いんだって。そもそも、リノアは本気出してないんだろ?」
ティーダが差し出した二枚の皿を受けとりつつ、スコールはうなずく。
「ああ。本気だったら、とっくにヴァーリー発動しているだろうな」
「だったら、気の済むまでじゃれ合せておけばよし!――ってなわけで、俺、この後ロングシャンクに行きたいんだけど、誰か案内してくれないか?」
太ももの辺りを叩きながら催促するように言うティーダに、その場にいたスコール以外の面々はなんとも言えない笑い顔を浮かべた。その視線が、自分の背後に向けられていることに気づいて、ティーダは小首をかしげる。
「……何スか?」
ティーダの問いには答えず、ルビィは不自然なまでの笑みを満面に浮かべながら言った。
「残念。私たち、もう帰らなきゃなんないのよね。ヒロユキかヴェントにでも頼めばいいんじゃない? ね、ホラ、姉さん、行きましょ!」
「そうね……それじゃあ、スコールさん。お皿、お願いしますね」
そそくさと立ち上がり、さっさとその場を離れるルビィを追うように、サファイアは急ぎ足で去って行った。釈然としない表情のスコールと、ティーダの視線がヒロユキに向けられる。焦ったヒロユキは、視線を泳がせながらしどろもどろに言う。
「お、俺、俺はあれだよ、そう、今日はルビィん家で夕飯を作ってあげるって約束してて、は、早く帰らないと……ルビィ、ルビィ!」
もつれるような足取りでルビィ姉妹を追うヒロユキを見て、ティーダのかしげる首の角度が更に深くなった。
「なんだよ、みんな。急によそよそしくなって。なあ、ヴェント……」
「そうそう。俺、アキラの屋台を手伝うって約束してたんだっけ。今更だけど」
わざとらしく大きな声で言いながら、ヴェントもまた逃げるように立ち去って行く。
「アキラのところへなら、俺たちも――」
皿を抱えながら言いかけて、スコールは不意に口をつぐんだ。
嫌な予感がする、とでも言いたげに眉根を寄せ、ゆっくりと振り返る。
つられたように振り返り、かつスコールよりも先に事態を理解したティーダが、驚愕の声を漏らした。
「聞こえたぞー、ティーダぁっ!」
「スコール、ひどーい!」
いつの間にか彼らの背後までやって来ていたリュックとリノアが、口々に責め立てる。
リュックは、ティーダが「たべる」の詳細を知りつつ教えなかったことを。
リノアは、スコールが自分とのパーティから離脱していたことをだ。
甲高い声で同時に責め立てられたスコールとティーダは、その内容よりも剣幕に気圧されたように、口を開けたまま彼女らを見上げるばかりだった。
怒れる少女らを追って、ゴージュとユウナが駆け寄ってくる。
「こら! お前ら、いい加減にしろよ」
「そうだよ、リュック。これ以上、騒ぎを大きくしないで」
間に割って入ったゴージュ、ユウナらに、リノアとリュックは一瞬口を閉ざした。が、すぐに「だってスコールが!」「だってティーダが!」と口々にまくしたて始める。
「ええい、だーまーれっ!」
一喝して、ゴージュはうんざりしたような顔で彼女らを睨みつけた。
「この際、どっちが悪いかはどうだっていい。ともかく、お前ら」
いったん言葉を切り、懐から七色のテトラフォースをとり出す。
「これ以上まだ騒ぐ気なら、強制送還するから覚悟しろよ。やりあうなら、テメーの庭で存分にやれ」
不満そうに言い募っていた少女らが、一瞬、静まった。
テトラフォースに浮き出た翼状の紋様を確認し、リュックは愛想笑いのようなものを浮かべる。
「やだな、物騒なもの出しちゃったりしてさ。やめなよ、お偉いさんぶるの。そういうの、似合わないよ~?」
「似合わなくて結構。言うこときかずのわからんちんを追い払うって最低限の機能さえ働けば、文句はいらねーだろ」
突き放すように言って、ゴージュは手のひらに乗せたテトラフォースを胸先に構えた。
「あ、あ、それってさ、選ばれた人間にしか使えないんだよね~。あんたに使う資格、あるのかな~?」
あきらかに逃げ腰になりながらも、リュックは相変わらず挑発的だ。テトラフォースに意識を集中させるゴージュの代わりに、スコールが言い返した。
「残念だが、ここはオフ会の会場――」
「そう、そう。で、ゴージュは運営さんなんだよな」
加勢するように言葉をつなげるティーダに、リュックは目を丸くする。
「うっそだあ。だって、全然、そんなガラじゃないよぉ?」
「本当だって。リュックは途中からで、それも呼ばれて来たわけじゃないから知らないだろうけどさ」
「げげっ!」
ティーダの言葉を最後まで聞くことなく、リュックは声を上げた。
ゴージュが構えたテトラフォースの紋様が、赤く輝き始める。うろたえたリュックが逃げ場を探して右往左往するのを見て、ゴージュは意地の悪い笑みとともにテトラフォースをかかげてみせた。
「まあ、そういうことだ。残念だったな」
「わわっ! やめて、やめて!」
叫び声を上げながら、リュックはすぐとなりにいたリノアの背後に逃げこんだ。盾にされた格好のリノアは、多少ムッとした顔をしながらも好奇心から問いかける。
「……私、強制送還されたことないから知らないけど、そんなにヤバイの?」
「ヤバイも何も! あたし、あれ、苦手なんだよね~」
リノアの後ろからそっと顔を出し、ゴージュと目が合うとリュックは慌てて首を引っこめた。
「バシュッ!……と来て、バビューン!って吹き飛ばされるんだもん、問答無用で酔うから嫌いなんだよね~」
「そういえば、クラウドが思い出しただけで余裕で吐けるとかなんとか言ってたな」
後方からのスコールのつぶやきに、リュックは声もなく身を震わせる。
異世界から呼び寄せられるなどしてやってきた者が騒動を起こし、その世界の住民、あるいは世界そのものを危機にさらし、なおかつ誰の制止も受けつけない状態に陥った場合、彼らの本来あるべき世界へと強制的に送り返す――それが「強制送還」と呼ばれるシステムの基本的な発動条件だ。
制約や例外はあるが、いずれにせよ、余程のことでもない限りはそうそう行われることのない措置である。
「……ははは。ブッ飛ばされたこと、あるんだ。クラウド」
苦笑まじりに応じるティーダに、スコールは残念そうな面持ちでうなずき返した。このやりとりを背中で聞いていたリュックとリノアは、難しい顔で考えこんでいる。
「――で、どうするよ? 既定の警告三回はとっくに済んだ。後はお前らがどうするか、だが」
ゴージュがかかげたテトラフォースに指先を触れると、輝きを増した紋様からふたつの光の輪が生まれた。
それは風に流されるようにただよい、やがてリュックとリノアの頭上で静止した。
「うわ! やだ、やだやだ!」
「何、これ。とれない」
慌てる少女らを眺めながら、面倒くさそうに、それでいてある程度の威厳をこめてゴージュは言った。
「俺は優しいからな。最後にもう一度だけ、警告してやる。お前ら、互いに謝れ。そうすれば、飛ばさずにおいてやる」
頭上の光の輪を払いのけようと手を振ったり身をくねらせたりしていたリュックとリノアは、動きを止め、不満そうに答える。
「あたしが謝るの? 悪いのはリノアのほうなのに!」
「悪いことしてないのに、どうして謝らなきゃいけないの?」
「――なら、仕方ないな」
ゴージュが嘆息すると同時に、七色だったテトラフォースが白くなり、少女らにとりついた光の輪が放電し始めた。
「むぎゃっ!」
「痛い!」
驚いて身をかがめるも、光の輪が放つ雷は止まらない。
リュックはパニックを起こしたようにその場で足踏みをし、リノアは「何するの!」と恨めしそうにゴージュを睨んだ。思わず「魔女」の力を行使しようとするも、魔法を扱うどころか身体が思うように動かないことに眉根を寄せてつぶやいた。
「何、これ……?」
「ヤられるほうはもちろん、ヤるほうも疲れるからな……本当は、こいつを使わずに済めばいいんだが」
雷に包まれた少女らではなく、その後方に向けて言いながらゴージュは少し首をかしげてみせる。彼の視線にいち早く気づいたスコールは、小さく肩をすくめて呼びかけた。
「リノア!」
呆然と草地に座りこんでいたリノアは、その声にゆっくりと振り返る。
雷の衝撃と苦痛に引き歪んだ表情だ。
「お前にも悪いところはあった。だから、ここは素直に謝っておけ」
「えええええ?」
妙に語尾の長い返答をして少し唇をとがらせるも、スコールの厳しい表情が微塵も変わらないことにリノアは顔を更に歪めた。
諦めたように長く息を吐いてから、一転して笑い顔を作り、ゴージュのほうへ向き直る。
「ごめんなさい!」
声高らかに言って、リノアはゴージュに平伏した。
身を起こし、嘆願するような面持ちで続ける。
「ちょっとコーフンしすぎたみたい。でも、騒ぎにするつもりはなかったの。本当に、ごめんなさい!」
「――謝る相手は、俺じゃあないだろ」
眉ひとつ動かさず返すゴージュに、リノアはぽんっと手のひらを打ち鳴らしてリュックと向かい合った。
「リュックも、ごめんね? 『たべる』アビリティのことぐらい知ってると思ってたんだ。怖がらせてごめん。私はもう怒ってないから大丈夫だよ」
いまだに止まらない光の輪による雷の衝撃に耐えかね、リュックは草地の上に完全に突っ伏していた。それでもなんとか少し顔を上げて何か言い返そうと口をもごもごさせるも、出てくるのは蚊の鳴くようなうめき声だけだった。
「……大丈夫?」
見下ろすリノアの浮かべる少し不安げな微笑は、雷に照らされ、文字通り輝いていた。
リノアの背中を眺めながら、ゴージュが無感動に言う。
「よーし。お前、もう行っていいぞ」
同時に、リノアの身体に降り注いでいた雷がピタリとやみ、どれだけ動いても離れることのなかった光の輪も雲がちぎれるようにかき消えた。
驚愕の眼差しでそれを見上げるリュックの口は「うそだ」の形に動いたが、やはり漏れ出るのはうめき声だけだ。
光の輪が消えても不安そうに辺りを見回していたリノアにスコールが声をかけ、指先だけで手招きしてみせる。
「スコール!」
叫ぶように言って立ち上がり、リノアはスコールのほうへ駆けていった。