「――ヴァルキリーさん。その話は以前にお断りしたはずですよね?」
「忘れたな」
素っ気なく答えると、ヴァルキリーはブリズの両肩に手を乗せて身をかがめた。
「ヴィルノア近郊に、不死者が大量に蔓延るダンジョンが出現して困っている。今こそ、あなたの力が必要なのだ。さあ、行こう」
「一般人の俺がそこへ行って、何が出来ると言うんです。ヴァルキリーさんのところには、立派なエインフェリアが何人もいるでしょう」
「その立派なエインフェリアが、皆、出払っているからあなたに同行を頼みたいのだ。さあ、行こう」
「お断りします」
ヴァルキリーから目をそむけたブリズは、自身の肩に置かれた戦乙女の手がぼんやりと発光しつつあるのを見て、狼狽の声を漏らしながら身を引いた。少なからず影響を受けたのか、すぐとなりにいたアーロンもヴァルキリーから離れるように身をのけぞらせている。
「ヴァルキリー!」
走ってくるヴェントに気づいて、ヴァルキリーは「おや?」といった様子で姿勢を正した。
「兄貴を神界へつれていこうったって、そうはいかねーぜ!」
鼻息も荒く割りこんできたヴェントに、ヴァルキリーは優しい声音で言った。
「離れるのが寂しいのなら、心配はいらない。死んだらあなたもヴァルハラへ来ればいい。そのときが来たら、私が迎えに行こう」
「俺は死んだってそんな場所へは行かないよ! というか、理由もなしに異世界へ移住することは禁止されてるはずだぜ。そればっかりは、どんなに偉い神サマでも覆せない大原則なんだ。兄貴のことは諦めて、他をあたりなよ」
「理由ならある」
「え……」
短く言って少し胸をそらせ、ヴァルキリーは輝くような笑みを浮かべた。
背後にかばった兄のためになんとか説得を試みるも、ヴァルキリーの美しさに内心どぎまぎしていたヴェントは彼女の笑顔に思わず見とれてしまう。
「ヴェント……ヴェント! 笑顔に騙されるな」
「はっ、ぐ……! な、なな、なんだよ、理由って」
笑顔を崩さないまま、ヴァルキリーは答える。
「戦乙女直属の最強ハーレム作成という、崇高なる目的のため。移住するのにこれ以上の理由はなかろう」
「……、はあ? なんだそりゃ」
「ちょうど一般人部門のオトコマエが不足していたのだ。ブリズ、あなたならルックスはもちろん、戦力面でも皆が認めるだろう。それは私が保証する。だから――」
呆れ顔のヴェントを押しのけ、ヴァルキリーはブリズの手をとる。
「いっしょにいきましょう」
「嫌です!」
「――レナス・ヴァルキュリア」
これまでヴィンセントとともに彼女らを静観していたアーロンが、長い溜息とともに口を開いた。
「そんなふざけた理由が通るとでも思っているのか? 魔物の退治が目的なら、俺とヴィンセントが同行しよう。何も、嫌がる者を無理につれていく必要はないだろう」
思わぬ助け舟に、ヴェントとブリズは心底ほっとしたような顔つきでアーロンを見上げる。
が、当のヴァルキリーは彼をしげしげと眺めつつ、事もなげにこう答えた。
「悪いが、渋担当は間に合っている。申し出はありがたいが、あなたの力は必要ない」
「……しぶ?」
魔物退治とハーレム作成、どちらが彼女の真の目的なのだろう?
一同、釈然としない顔つきでヴァルキリーを凝視する。
集まる視線を気にもとめず優雅に反転し、ヴァルキリーは再びブリズと向き合った。
「さあ、話は決まった。今すぐに、ヴァルハラへ行こう」
「……今までの話をちゃんと真面目に聞いていたんですか?」
聞く耳をもたない女神に辟易した様子で、ブリズはため息をついた。
「以前にもお伝えしたように、俺は、運び屋として生きたこの世界を離れる気はありません。エインフェリアとして戦いの場に身を置く気なんて、さらさらないんです。どうぞ、俺のことは諦めて他をあたってください」
「ふうむ……思った以上に頑固だな。しかし、それでいてこそ落とし甲斐があるというもの……」
後半は誰にも聞きとられないほどの声音でつぶやいて、ヴァルキリーはゆっくりとブリズから離れた。ようやく諦めたかと、その場にいた誰もが緊張をゆるめたのも束の間――
「アリューゼ!」
女神の鋭い呼びかけに、一同、再び緊張の度を高めることとなる。
「――やれやれ」
面倒くさそうに漏らしたのは、ヴァルキリーの身体から浮かび上がるようにして現れた長身の男だった。彼の名はアリューゼ。生前は傭兵をしていた、ヴァルキリーお気に入りのエインフェリアのひとりである。
「ああ、ちょっと、何をするんです!」
「俺だってこんなことはしたくないんだがな、悪く思うなよ」
アリューゼに羽交い絞めにされ動きを封じられたブリズは、歩み寄ってくるヴァルキリーに気づき、凍りついたような表情で彼女を見た。素早く周囲に目を馳せれば、いつの間にやらジェイスの姿がなくなっている。
「さあ……気を楽にして」
「冗談じゃない!」
もがきながらも更に辺りを見回すと、ヴィンセントは牽制のために銃を抜いたものの、新たに現れた隻眼のエインフェリアに自動弓を向けられ緊張状態にあった。アーロンは生身の身体を持たない「死人」だ。下手に近づけば巻き添えを喰らいかねないため、太刀を引き抜いてはいるが、ギリギリまで割って入りはしないだろう。
唯一自由に動けるのは、ヴェントだけだった。それを知ってか知らずか、
「それ以上、兄貴に近づくな!」
叫びながらヴェントは勇んでアリューゼに向かっていったものの、全身鎧のエインフェリアに首根っこを引っつかまれ、投げ飛ばされてしまった。
「ッてぇ……。いくら神サマだからって、こんな横暴許されていいのかよ!」
「何をやっているんだ、貴様は」
頭上からの呆れたような呼びかけに、ヴェントは低くうめきながら上を見上げる。
「げ……トゥース。あ、おい、お前、どうするつもりだよ!」
呼びかけそのものに意味はなかったのか、ヴェントの問いには答えず、トゥースはそのまま歩みを進める。
その先では、ブリズの頬に触れたヴァルキリーの全身が青白く発光しつつあった。
「レナス・ヴァルキュリア!!」
呼びかけるよりも早く、トゥースは下僕コウモリをヴァルキリーの足元に放っていた。わずかに身を震わせ、半面振り返ったヴァルキリーは、「何か用か」とばかりに眉根を寄せている。
「その男をつれて行こうというのなら、この私を倒してからにしてもらおう」
「ほお。下位の吸血鬼ごときが私に牙を向けるというのか。おもしろい冗談だな」
「知っているか? 異界の者は、他の世界の住民に危害を加えることは不可能なんだ」
「ああ……。そうだったな」
言葉を交わしている間にも、ヴァルキリーの身体は淡い光を放ち続け、ブリズは苦悶の表情を浮かべている。じりじりと歩みを進めるトゥースの前に、鎧のエインフェリアが立ちはだかるも、彼は何かに気づいたように動きを止め、ヴァルキリーの「戻りなさい」との言葉に素直に応じた。油断なく後退する鎧姿は、空中に霧散する。
「幽体と不死者は相性が悪いからな。賢明な判断だ」
「神族と不死者の相性も最悪のものだと思うが。試してみるか?」
微笑みかけて、ヴァルキリーは戸惑った様子でブリズのほうを振り返った。
ヴァルキリーの放つ白い清浄な輝きは、ブリズの身体をも包み始めていた。が、それに抗うような闇色のオーラがブリズの周囲で揺れている。
「これは……。どうにも厄介な死に方をしたものだな」
「兄貴……!」
トゥースの後ろでひと通りの悪態をつき終えたヴェントが走り出し、数メートルも進まないうちに転倒した。今まで静観していたアキラが、サイコキネシスで押さえつけたのだ。
「アキラぁあああ! てめっ、何しやがる!」
もがくヴェントを一瞥して、トゥースはヴァルキリーらのほうへ一歩近づいた。
「それぐらいにしておけ、異界の神よ」
声には憂慮のようなものがにじみ出ている。
「全ての魂が寄り添われることを望んでいるわけではない。選定者であった貴様なら、よく知っていることだろう」
トゥースの言葉に少し残念そうな表情を浮かべたヴァルキリーは、すぐに緊張した眼差しをブリズに向け直した。
闇色のオーラが先ほどよりも力を増し、その領域を広めている。
「ブリズ!」
トゥースの呼びかけに、ブリズが反応する。振り返った瞳は本来の青ではなく、赤みを帯びたものになっている。
「貴様、一度は解いた戒めに今になって堕ちる気か? そうではないなら、もう一度解いて見せろ」
返答は獣のような咆哮だった。
「おい、ヴァルキリー」
アリューゼがヴァルキリーに声をかける。彼の力をもってしても、今のブリズを押さえつけるのは困難な様子だった。
「……仕方あるまい」
アリューゼに軽くうなずきかけ、ヴァルキリーは跳躍してブリズから離れた。同時に、アリューゼもブリズから離れる。これを見たヴィンセントと隻眼のエインフェリアは互いにうなずきあい、ふたりは突きつけあっていた武器をそのままブリズのほうへと向けた。
「今の彼は、私に記憶を呼び覚まされたことにより混乱し、暴走しつつある――そう考えるのが妥当だな?」
「ああ……まあ、だいたいのところはな」
ヴァルキリーの言葉にうなずき、トゥースは続ける。
「何か、気を失うほどの衝撃でも与えれば我に返るのだろうが――」
抜身の太刀を手に、ヴァルキリーのとなりへ歩み寄ってきたアーロンがつぶやくように漏らした。
「衝撃を与えるのは容易いが、この面子では限度を超えかねないな」
「大丈夫だ」
ブリズの様子をうかがいながらヴァルキリーが言う。
「リセリアというエインフェリアがいるのだが、彼女は選定の際に勝負を申しこんできた。それと同じだと考えれば問題ない」
緊張した場にそぐわない、穏やかな微笑みを浮かべながらつけ足す。
「汚れた魂の一部を浄化することに成功すれば、彼は晴れて私のエインフェリアだ!」
「おいおい。この期に及んで、まあだ諦めねーってのかよ」
「やれやれ。しつこい女は嫌われるぞ――」
アリューゼの呆れ声に被せるようにぼやいたトゥースが、悪態を更に続けようとして口をつぐんだ。
本人が目の前にいるために思いとどまったわけではない。
ブリズが唐突に動いたからだ。
自分をとり囲んでいる者たちを、困惑しているともとれる表情で眺めていたブリズだったが、トゥースの言葉を合図にして、迷うことなくヴァルキリーに攻撃を仕掛けた。
「なっ……に?!」
黒いエネルギー波が猛烈な勢いで押し寄せ、油断していたヴァルキリーは呆気なく吹き飛ばされてしまった。それを皮切りに、エインフェリア二名とアーロン、ヴィンセントは、ブリズに「衝撃」を与えるべく動いた。
追撃に移ろうとしていたブリズの足元に、隻眼のエインフェリアとヴィンセントが威嚇射撃を行う。立ち止まったところへ、アーロンが太刀を振るう。岩をも砕きそうな勢いの峰打ちだが、それをもろに腹に受けたブリズは微動だにせず、両手を前にかざした。
「――!」
ヴァルキリーを吹き飛ばしたのと同じエネルギー波がアーロンに襲いかかる。直前に危機を察知して退いていたため直撃は免れたものの、ブリズの攻撃がかすめた肩口を一瞥して、アーロンは低く舌打ちをした。
死人の身体を構成する要素――幻光虫がわずかながら分解され、辺りに漂っている。その一部はブリズの周囲に揺らめく黒いオーラに引き寄せられ、飲みこまれていた。
「『幽体』と不死者は相性が悪い、か。確かに――」
つぶやきに、派手な粉砕音が重なる。
「気絶で済む程度の攻撃じゃ、ちと甘いんじゃねーか、伝説のガードさんよ」
草地にめりこんだ大剣の切っ先を軽々と持ち上げ、アリューゼはにやりと笑った。そのまま重量をものともしないスピードで剣をスイング、一撃目を難なくかわし空中に逃れていたブリズに二撃目を放つ。
完全に防御されることは見越していたらしい。アリューゼは素早くその場から離れた。
ほぼ同時にブリズを捉えたエネルギー弾は、アーロンの振るう剣が生み出したもの。
清めの酒を含んだエネルギー弾は、ブリズの防御壁を貫通してダメージを与え、彼を草地に叩きつけた。
「見ろよ。ほとんど効いちゃいねえ」
アリューゼが言うまでもない。
ふらりと立ち上がったブリズの瞳はいまだ吸血鬼特有の血色をしており、彼の周囲で揺らめく闇色のオーラはいっそう力を増しているようだ。この場で武器を構える全員が緊張の度を高めた。
「なんて頑丈な男なの……」
ブリズに吹き飛ばされた格好のまま、ヴァルキリーは震え声でつぶやいた。アキラの見えない手に押さえつけられたまま草の上でじたばたしているヴェントには目もくれず、トゥースに言う。
「実質的には、主よりも格段に能力が上なのではないか?」
「放っておけ」
憮然とした顔で返してから、トゥースは小さくうめいた。
戦闘慣れした男四人を相手にして全く引けをとらない動きを見せていたブリズだったが、トゥースの返答に反応し、彼――正確にはヴァルキリー――に向かっていこうとしたところへ容赦のない総攻撃を受けて草地へ倒れこんだ。
目的を果たしたかと男たちが力を抜いたのも束の間、多少精彩に欠ける動きながらブリズが身を起こしたのを見て、皆、一様に感嘆の吐息を漏らした。
急所を狙った攻撃のことごとくを防御するか受け流したらしい。深刻なダメージは負っていないようだった。
「ああ、くそッ! 今、どうなってるんだよ! 兄貴ッ!」
呆然とブリズを眺めるトゥースの顔に、余裕の色はない。騒々しいヴェントの声もほとんど聞こえていないようだ。
「何をためらっている?」
問いかけるヴァルキリーは、逆に余裕綽々といった様子。
「あの吸血鬼の主は、お前だ。お前の命令には唯一服従する。そうではないか?」
「それはそうだが――」
コウモリにも似た形状のエネルギー波が、ブリズの周囲にいた男たちを一斉に吹き飛ばす。
「あなたがひと言、とまれと彼に命じれば、ことは穏便に収まるのですよ」
「その通りだ。先ほどお前が言った通り、異界の者は、他の世界の住民に危害を加えることは出来ない。多少過ぎた攻撃を加えても、彼が消滅することはないのだ。何も心配は――」
そこまで言って、ヴァルキリーは何か違和感を覚えたように口をつぐんだ。
自分の腰に回された腕に今気づいたとばかりに眉を上げ、その腕をつたってゆっくりと後ろを振り返り、そうして硬直した。
「――き、貴様は!」
「彼の防御を封じ、全ての攻撃を受けさせる。この不毛な争いに終止符をうつ、最も手っとり早い方法です。迷う必要がどこにあるというのです?」
「おいッ! 離れろ!」
身をよじるヴァルキリーを一瞥して小首をかしげながらも、トゥースは返す。
「出来うることなら、自力で正気づいて欲しいのだがな。私は何も命じたくない」
「いけませんねえ。余計なこだわりは身を滅ぼすもとです。そもそも、戦闘が長引けば、それだけ彼の苦しみも長引くのですよ……」
「ええい! 離れろと言っているんだ!」
鈍い音に苦鳴が重なる。
ヴァルキリーを後ろから抱きすくめていたその男は、彼女の渾身の肘鉄をもろに喰らってよろよろと後退した。
「げ、ほ……もう少し、このままでいたかったのですが……相変わらず容赦のないひとですね……しかしそこがまたいい!!」
「うるさい、黙れ! レザード・ヴァレス、貴様、いったい何をしにここへ来た!」
「呼ばれたからですよ、このオフ会に。ゲストとしてね」
「嘘をつくな。貴様のような男が、この平和な宴の席に呼ばれるわけがない」
「平和、ですか?」
少し離れた場所で展開される五人の男たちの戦闘を見やり、レザードは物言いたげにつぶやいた。アキラを指差し、続ける。
「まあ、正確にはそこの彼に応援を頼まれてですがね」
超能力でヴェントを押さえつけたままじりじりとにじり寄ってきたアキラが、噛みつかんばかりの勢いでつけ足した。
「その平和な宴を乱す悪い女神がいるから、つれてってくれってな。俺だって本当はこんなやつに頼みたくなんかなかったんだ!」
暴れ疲れて草地に突っ伏すヴェントの足元までやってきて、アキラはひと息ついた。彼の能力は長時間の使用に適したものではないため、かなり疲労しているようだ。うっすら汗ばんだ顔でトゥースを見上げた。
「ほら、早くしてくれよ、トゥース」
屈みこみ、ヴェントの背中に手を当てながら顎でブリズを指し示す。
「お前が行かないのなら、私が行って浄化してこよう」
冗談ではない声音で言って歩きかけるヴァルキリーを無言で制し、トゥースは軽く息を吐いた。アキラに何やら悪態をつきながら再び暴れ出すヴェントを複雑な面持ちで見やってから、ブリズのほうへと向き直る。
「とまれ」
囁くような声音だったが、それでもブリズには届いたらしい。
手近にいたアーロンへの攻撃を寸前で止め、ゆっくりと振り返った。
ブリズの異変に気づいたものの、アーロンは攻撃の手を止めることはしなかった。
「防御はするな。全て受け入れろ」
不可解な命令に、ブリズは棒立ちになったままトゥースを見据える。無表情な紅い瞳の奥に何を感じとったものか、トゥースは目を逸らし、荒々しく舌打ちをして草地に座りこんだ。
数発の銃声が響き、それに派手な爆砕音が続く。
戦闘の結末を眺めていたヴァルキリーは、爆風が収まるのを待たずに彼らのほうへ歩き出した。